エリーザベト・フォン・ニュルンベルクとは? わかりやすく解説

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エリーザベト・フォン・ニュルンベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 08:18 UTC 版)

エリーザベト・フォン・ニュルンベルク
Elisabeth von Nürnberg
ローマ王妃
エリーザベト(ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセの教会のフレスコ画)
在位 1400年 - 1410年
別称号 プファルツ選帝侯妃:1398年 - 1410年

出生 1358年
死去 1411年7月26日
埋葬 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク聖霊教会
結婚 1374年6月27日
配偶者 ループレヒト(3世)
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世
母親 エリーザベト・フォン・マイセン
宗教 キリスト教カトリック
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エリーザベト・フォン・ニュルンベルク(ドイツ語:Elisabeth von Nürnberg, 1358年 - 1411年7月26日)は、ローマ王ループレヒトの妃。後にホーエンツォレルン家で初めてのブランデンブルク選帝侯となるフリードリヒ1世の姉である。

生涯

エリーザベトはニュルンベルク城伯フリードリヒ5世とエリーザベト・フォン・マイセンの間の娘である。

1374年6月27日アンベルクにおいてエリーザベトはプファルツ家ループレヒト3世と結婚した。ループレヒトは1398年プファルツ選帝侯となり、1400年にはローマ王となった。この結婚により9人の子女が生まれた。エリーザベトは夫ループレヒトが死去した翌年1411年に死去し、夫と同じくハイデルベルク聖霊教会に埋葬された。

ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセの参事会教会の聖歌隊席の天井に、ローマ王ループレヒトと妃エリーザベト、息子ルートヴィヒ3世とその最初の妃ブランシュ・オブ・イングランドが等身大で描かれた「最後の審判」のフレスコ画がある。

子女

参考文献

  • Brigitte Sokop: Stammtafeln europäischer Herrscherhäuser. 3. Aufl. Wien 1993.



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