ウード2世 (ブロワ伯)とは? わかりやすく解説

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ウード2世 (ブロワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 08:25 UTC 版)

ウード2世
Eudes II
ブロワ伯
メーヌ伯エリー1世とブロワ伯ウード2世
在位 1004年 - 1037年

出生 983年
死去 1037年11月15日
バル=ル=デュック
配偶者 マティルド・ド・ノルマンディー
  エルマンガルド・ドーヴェルニュ
子女 ティボー3世
エティエンヌ2世
ベルト
家名 ブロワ家
父親 ブロワ伯ウード1世
母親 ベルト・ド・ブルゴーニュ
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ウード2世のコイン

ウード2世フランス語:Eudes II, 983年 - 1037年11月15日)は、ブロワ伯、シャルトル伯、シャトーダン伯、ボーヴェ伯およびトゥール伯(在位:1004年 - 1037年)。トロワ伯(ウード4世)およびモー伯(ウード1世)(在位:1022年 - 1037年)。1024年以降にイタリア王に、1032年以降にブルグント王の位を狙った。

生涯

ウード2世はブロワ伯ウード1世ベルト・ド・ブルゴーニュの息子である[1]。ウード2世の時代に初めてブロワとシャンパーニュが統一されたが、ウード2世は領土の併合のために隣接する領地の領主らとの戦いに明け暮れた[2]

1003年または1004年に、ウードはノルマンディー公リシャール1世の娘マティルドと結婚した[3]。1005年にマティルドが子供がいないまま死去し[1]リシャール2世はマティルドの持参金(ドリュー伯領の半分)の返還を求めた[4]。これをウードは拒否し、両者はこの問題に関して争った[4]。最終的に、ウードの母ベルトと結婚したフランス王ロベール2世が、1007年に仲裁し、ウードがドル-城を保持する一方、リシャール2世が領地の残りを獲得した[4]。ウードはすぐにオーヴェルニュ伯ギヨーム4世の娘エルマンガルドと再婚した[4]

1016年7月にポンルボイの戦いで、ウードはアンジュー伯フルク3世およびメーヌ伯エルベール1世に敗北し、すぐにトゥレーヌを侵略しようとした[2]。1019年または1020年にヴェルマンドワ家のはとこトロワ伯エティエンヌ1世が嗣子なく死去し、ウードはトロワ、モーおよびシャンパーニュ全域を王の許可なく手に入れた[5]。そこからルシー伯エブル1世、ランス大司教および上ロートリンゲン公ディートリヒ1世の領地を攻撃した。フランス王と神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の同盟により、ウードはランス伯領を大司教に渡さざるを得なかった。

ウードはロンバルディア貴族らにイタリア王位に就くことを提案された。しかし、フランス王との関係を悪化させないためにこの提案ははすぐに撤回された。1032年、ブルグント王ルドルフ3世の死に乗じてウードはブルグント王国を占領した[6]。しかし、皇帝コンラート2世とフランスの新王アンリ1世の同盟に直面して撤退した[7]。1037年、ウードはコンラート2世のイタリア不在を利用してロートリンゲン公国に侵入したが、バル=ル=デュックの戦い英語版においてロレーヌ公ロートリンゲン公ゴツェロ1世の軍隊に敗れた後、敗走時に亡くなった[8]

子女

2番目の妃エルマンガルド・ドーヴェルニュとの間に以下の子女をもうけた。

脚注

  1. ^ a b c d e Schwennicke, Tafel 46
  2. ^ a b Bury, p. 123
  3. ^ Schwennicke, Tafel 79
  4. ^ a b c d Norgate, p. 487
  5. ^ Norgate, pp. 488–89
  6. ^ Previté-Orton, p. 30.
  7. ^ Previte-Orton, pp. 33–36.
  8. ^ Lex, pp. 51–54.
  9. ^ Schwennicke, Tafel 75

参考文献

  • Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II: Die Ausserdeutschen Staaten Die Regierenden Häuser der Übrigen Staaten Europas (Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, 1984)
  • J.W. Bury, Cambridge Medieval History, Vol III (The Macmillan Company, New York, 1922)
  • Kate Norgate, Odo of Champagne, Count of Blois and 'Tyrant of Burgundy', The English Historical Review, Vol. 5, No. 19, (July, 1890)
  • C.W. Previté-Orton, The Early History of the House of Savoy, (Cambridge University Press, 1912)
  • Léonce Lex, Eudes, comte de Blois (Troyes, Dufour-Bouquot, 1892) On Google Books
先代:
ティボー2世
ブロワ伯
1004年 - 1037年
次代:
ティボー3世
先代:
エティエンヌ1世
トロワ伯
1022年 - 1037年
次代:
エティエンヌ2世



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