ディートリヒ1世_(上ロートリンゲン公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ディートリヒ1世_(上ロートリンゲン公)の意味・解説 

ディートリヒ1世 (上ロートリンゲン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 07:42 UTC 版)

ディートリヒ1世
Dietrich I von Lothringen
上ロートリンゲン公
バル伯
在位 978年 - 1026/7年

出生 965年
死去 1026年4月11日/1027年1月2日
配偶者 リヒルデ・フォン・ブリースガウ
子女 フリードリヒ2世
アダルベロ
アーデルハイド
ヒルデガルド
家名 アルデンヌ=バル家
父親 上ロートリンゲン公フリードリヒ1世
母親 ベアトリクス・フォン・フランツィーン
テンプレートを表示

ディートリヒ1世・フォン・ロートリンゲン(独:Dietrich I von Lothringen, 965年頃 - 1026年4月11日/1027年1月2日)フランス語名はティエリー1世・ド・ロレーヌ(仏:Thierry Ier de Lorraine)は、上ロートリンゲン公フリードリヒ1世とその妃ベアトリクス・フォン・フランツィーンユーグ・カペーの実姉)の息子。父が死去した978年以降、1026年または1027年まで上ロートリンゲン公およびバル伯であった。

生涯

当時の慣習によれば、16歳以上の公子・伯子は独立して統治することができ、ディートリヒは少なくとも父と死別した当時は間違いなく20歳程であったが、987年までは母ベアトリクスが摂政として実質上ロートリンゲン公国を統治していた。

ベアトリクスの生存記録がなくなった989年以降、ディートリヒは名実ともにロートリンゲン公となるべく、母を何らかの方法で統治から退けたとされる。諸説あるが、ベアトリクスを修道院に幽閉した、もしくは毒殺した説が存在している。

985年、ディートリヒはヴェルダン西フランクロテールが率いる軍と戦うが、敗退し、捕虜となり投獄された。

後に釈放されたが、しばらくして、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世ルクセンブルク家メッツ領を巡る紛争が起こり、ディートリヒは参戦して重傷を負った際、宮中伯エッツオ・フォン・ロートリンゲンに捕らえられ、再び投獄された。

ディートリヒはエッツオが所有していたトンブルク城に幽閉され、釈放の代償に多額の保釈金を支払わされた。

後、ディートリヒはブルグント公国で再び捕らえられたが、シャンパーニュ伯ウード2世・ド・ブロワトゥールを攻撃された時は相手を撃破している。

1024年に、ディートリヒはそれまで対立していたコンラート2世を新たな皇帝として認め、支持者となった。

晩年、ディートリヒは息子フリードリヒを後継者としていたが、フリードリヒは1026年に父に先立って死去した。その後、ディートリヒは1026年4月11日から1027年1月2日の間に死去した。公位は孫のフリードリヒ3世が継承した。

結婚・子女

ディートリヒはリュネヴィル・メッツ伯フォルマー1世の娘と思われるリヒルデ・フォン・ブリースガウ(965年頃 - 995年)と結婚し、以下の子女をもうけた。

妃リヒルデは以下の子孫であるとされる。

  • フォルマー1世・フォン・ブリースガウ(920年頃 - 996年以前) - メッツ伯およびリュネヴィル伯、ベルタ(940年頃 - 996年以降)と結婚。
  • フォルマー・リュネヴィル(900年頃 - 980年以降)
  • フォルマー・フォン・ヴォルムス(865年頃生) - リヒルデと結婚
先代
フリードリヒ1世
上ロートリンゲン公
978年 - 1026/7年
次代
フリードリヒ3世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ディートリヒ1世_(上ロートリンゲン公)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディートリヒ1世_(上ロートリンゲン公)」の関連用語

ディートリヒ1世_(上ロートリンゲン公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディートリヒ1世_(上ロートリンゲン公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディートリヒ1世 (上ロートリンゲン公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS