ウガンダ_(1979年-1986年)とは? わかりやすく解説

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ウガンダ (1979年-1986年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/20 00:21 UTC 版)

ウガンダ共和国
Republic of Uganda
1979年 - 1986年
国旗 国章
国歌: Oh Uganda, Land of Beauty(英語)
おおウガンダ、美しき地
首都 カンパラ
大統領
1979年4月13日 - 6月20日 ユスフ・ルレ英語版
1979年 - 1980年 ゴッドフリー・ビナイサ
1980年5月12日 - 22日 パウロ・ムワンガ英語版
1980年 - 1985年 ミルトン・オボテ
1985年7月27日 - 29日 バジリオ・オララ=オケロ英語版
1985年 - 1986年 ティト・オケロ
副大統領
1980年 - 1985年 パウロ・ムワンガ
首相
1980年 - 1985年 オテマ・アリマディ英語版
変遷
成立 1979年4月13日
総選挙 1980年12月10日
クーデター 1985年7月27日
廃止 1986年1月26日
現在 ウガンダ

1979年から1986年までのウガンダ(Uganda_(1979–1986))は、イディ・アミンの独裁政権が崩壊して、1985年のクーデターによって1年間のみ軍事政権が成立した期間である。

解説

1980年12月17日に、かつて英連邦王国時代に首相を務め、第一共和政時代には1966年から1971年まで大統領を務めたミルトン・オボテが新たに大統領に就任し、政権は5年間続いた。

1985年7月27日1985年ウガンダクーデター英語版が発生し、首謀者であるティト・オケロはオボテを失脚させ[1]、自らが大統領に就任したことで軍事政権が成立した。しかし、その翌年にヨウェリ・ムセベニ率いる国民抵抗運動英語版は、カンパラの戦い英語版にて首都カンパラを占領、オケロとその兵士らは北部に位置するアチョリランドの拠点へと逃げた。同年1月26日をもって軍事政権は崩壊し、1月29日にムセベニが大統領に就任したことで、現在の政治体制が確立した。

脚注

  1. ^ Henry Mapolu (31 August 1985). “Second Coup d'Etat”. Economic and Political Weekly (JSTOR) 20 (35): 1473–1475. JSTOR 4374771. https://www.jstor.org/stable/4374771 2021年12月3日閲覧。. 

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