ウィリアム・モリスの屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 03:50 UTC 版)
「ケルムスコット・ハウス」の記事における「ウィリアム・モリスの屋敷」の解説
1878年10月からウィリアム・モリスがこの家に住むようになった。もともとは「ザ・リトリート」(The Retreat、「隠棲の場」) と呼ばれていたが、モリスは1871年6月から住んでいたケルムスコット・マナーのあるオックスフォードシャーのケルムスコットにちなんで家の名前を変更した。馬車置き場はテキスタイル工房として使用されていたが、モリスは私室でもタペストリー作りなどの作業を行っていた。1881年にモリスがマートン・アビーに染色もできる工房を作った後は、もともと織物工房だった部屋は社会主義者の会合場所として使われるようになった。 この当時のハマースミスはロンドン中心部に比べると混雑しておらず、モリスは庭の自然を楽しんでいたという。モリスはこの住居を非常に気に入っていた。 1891年、モリスは近所のアッパーモール16番地でアーツ・アンド・クラフツ運動の重要な一部となる印刷所ケルムスコット・プレス(英語版)を始めた。その後5ヶ月ほどしてすぐ近くのアッパーモール14番地に印刷所を移転した。 モリスは1896年10月に亡くなるまでこの家に住んでいた。
※この「ウィリアム・モリスの屋敷」の解説は、「ケルムスコット・ハウス」の解説の一部です。
「ウィリアム・モリスの屋敷」を含む「ケルムスコット・ハウス」の記事については、「ケルムスコット・ハウス」の概要を参照ください。
- ウィリアム・モリスの屋敷のページへのリンク