アーディル・シャー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 04:29 UTC 版)
アーディル・シャー عادل شاه افشار |
|
---|---|
アフシャール朝 シャー |
|
![]()
アーディル・シャー
|
|
在位 | 1747年 - 1748年 |
|
|
死去 | 1749年5月20日 マシュハド |
王朝 | アフシャール朝 |
父親 | ムハンマド・イブラーヒーム・ハーン |

アーディル・シャー(? - 1749年5月20日)は、アフシャール朝の第2代君主(在位:1747年 - 1748年[1])。
来歴
初代君主のナーディル・シャーはイマーム・クリー・ベグの娘と結婚していたが、そのイマームの息子であるムハンマド・イブラーヒーム・ハーンの息子である。つまりナーディルの義理の甥である。父のムハンマドは1738年にナーディルに殺害されている。
1747年にナーディルの暗殺に関与したといわれ、ナーディルが暗殺されると、わずか2週間でシャー・ルフを除くナーディルの直系親族を処刑し、即位した。
しかし1748年に弟のイブラヒムが謀反を起こし、アーディルは捕らえられて盲目にされた。
1749年、身柄をマシュハドに移されると、ナーディル・シャーの妻の命令で処刑された。
脚注
参考文献
- フランシス・ロビンソン(著)小名康之(監修) 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 : インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206-1925年)』創元社〈「歴代誌」シリーズ〉、2009年5月13日。ISBN 978-4-422-21520-4。
外部リンク
- アーディル・シャーのページへのリンク