アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルとは? わかりやすく解説

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アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル

(アンナ・アマーリア_(ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公妃) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 15:05 UTC 版)

アンナ・アマーリア
Anna Amalia
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公妃

出生 (1739-10-24) 1739年10月24日
神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領ヴォルフェンビュッテル
死去 (1807-04-10) 1807年4月10日(67歳没)
ザクセン=ヴァイマル公国ヴァイマル
配偶者 エルンスト・アウグスト2世
子女 カール・アウグスト
フリードリヒ・フェルディナント・コンスタンティン
家名 ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家
父親 カール1世
母親 フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセン
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アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルAnna Amalia von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1739年10月24日 - 1807年4月10日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世の妃。

生涯

ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世と妃フィリッピーネ・シャルロッテプロイセンフリードリヒ2世の妹)の娘として、ヴォルフェンビュッテル(現在のニーダーザクセン州)で生まれた。兄はプロイセン元帥として知られるカール・ヴィルヘルム・フェルディナント

1756年3月16日、エルンスト・アウグストと結婚。しかしわずか2年後に夫は死去し、彼女は身重の体で、長男カール・アウグストの摂政をつとめることになった。同年、次男フリードリヒ・フェルディナント・コンスタンティンを出産。

七年戦争という一大事にもよく公国の舵をとり、カール・アウグストが成人した1775年に摂政を辞した。芸術のパトロンとして知られ、作曲をする才女だった。彼女は、ヘルダーゲーテシラーらをヴァイマルへ招聘した。幼い大公の教師をつとめたのは、シェイクスピアドイツ語翻訳者で詩人のヴィーラントであった。アンナ・アマーリアは、85万冊もの蔵書をもつ『アンナ・アマーリア大公妃図書館』を創設した。

子女

  • カール・アウグスト(1757年 - 1828年)- ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公
  • フリードリヒ・フェルディナント・コンスタンティン英語版(1758年 - 1793年)

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