アントナン・プルーストとは? わかりやすく解説

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アントナン・プルースト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 23:27 UTC 版)

アントナン・プルースト
Antonin Proust
エドゥアール・マネによる肖像画
生誕 (1832-03-15) 1832年3月15日
ニオール
死没 1910年6月7日(1910-06-07)(78歳没)
パリ
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アントナン・プルースト: Antonin Proust1832年3月15日 - 1905年3月20日)は、フランスのジャーナリスト、政治家[1]

略歴

ドゥー=セーヴル県ニオール出身。パリで育ち、パリの私立学校コレージュ・ローラン(Collège Rollin、後のCollège-lycée Jacques-Decour)で学び、画家のエドゥアール・マネとは同い年でクラスメートになった。マネとトマ・クチュールに絵画が学んだが、ジャーナリストになった。1864年にブリュッセルで反帝国主義ジャーナル「ラ・セメーヌ・エブドマデール」を発刊した。普仏戦争では初め従軍記者を勤めたが、セダンの戦いののちパリに戻り、レオン・ガンベタの秘書として避難民を監督。1876年に地元選出の立法議員となり、ガンベタ内閣(1881年 - 1882年)で芸術相を務めた。パナマ運河疑獄で起訴され、1893年に無罪となったがこのころ隠居した。1905年に頭を打ち、その2日後亡くなった[1]

1897年からエドゥアール・マネに関する一連の記事を雑誌「La Revue blanche」に発表し、後に書籍として出版し、マネの重要な伝記作家の一人になった。

アントナン・プルーストを題材にした美術作品

訳書

  • 『エドゥアール・マネの思い出』三浦篤監修、泉美知子・井口俊訳、中央公論美術出版、2024年
  • 『マネの想い出』野村太郎訳、美術公論社、1983年。旧訳版、マネ研究の基本史料

脚注

  1. ^ a b "Antonin Proust". Assemblée nationale (フランス語). 2023年3月11日閲覧

参考文献

  • Antonin Proust, in Adolphe Robert, Gaston Cougny: Dictionnaire des parlementaires français, herausgegeben von Edgar Bourloton, 1889–1891.



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