アルミン・コグラーとは? わかりやすく解説

アルミン・コグラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 09:53 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
獲得メダル
 オーストリア
男子 スキージャンプ
ノルディックスキー世界選手権
1982 Oslo 70m級個人
1982 Oslo 90m級団体
1985 Seefeld 90m級団体

アルミン・コグラー(Armin Kogler、1959年9月4日 - )は、1980年代前半に活躍したオーストリアチロル州シュヴァーツ出身の元スキージャンプ選手。

1981-1982シーズンから1982-1983シーズンにかけてワールドカップ総合優勝を果たし、1982年の世界選手権で個人金メダルを獲得したトップジャンパーだった。

プロフィール

1979年スキーフライング世界選手権ユーゴスラビア、プラニツァ)で優勝して頭角を現した。

翌1979-1980シーズンの第一回スキージャンプ・ワールドカップで5勝をあげ、同僚のフーベルト・ノイパーに次ぐ総合2位になった。 レークプラシッドオリンピックでは90m級5位、70m級で12位となった。

1980-1981シーズンはジャンプ週間で自己最高の総合2位、フライング選手権2位、またワールドカップでは3勝、表彰台12回で総合優勝を達成した。 1981-1982シーズンはオスロでの世界選手権で70m級個人金メダル、団体銀メダル、90m級個人で銅メダルを獲得し、ワールドカップでも総合2連覇を果たした。

1984年サラエボオリンピックでは70m級52位、90m級6位。 1985年、地元オーストリアで開催された世界選手権では団体銀メダルを獲得した。同年札幌での90m級で5位になったのがワールドカップでの最後である。 ワールドカップ通算13勝(2位12回3位12回)。

1979年と1981年、1982年の3回オーストリアスポーツマンオブザイヤーを受賞、1984年にはホルメンコーレン・メダルを受賞した。

コグラーは1989年からチロリアン航空のパイロットとして働くとともにオーストリア放送協会(ORF)のスポーツコメンテーターとして活動。2007年2月には精巣腫瘍を患ったが翌シーズンからコメンテーターに復帰した。

マルティン・コッホは甥にあたる。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アルミン・コグラー」の関連用語

アルミン・コグラーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アルミン・コグラーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアルミン・コグラー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS