アルフォンス・ツィブルカとは? わかりやすく解説

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アルフォンス・ツィブルカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 07:42 UTC 版)

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この項目では、印欧語族風に、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いツィブルカ・アルフォンズと表記することもあります。
アルフォンス・ツィブルカ
Alphons Czibulka
基本情報
生誕 (1842-05-14) 1842年5月14日
オーストリア帝国キルヒドラウフドイツ語版
死没 (1894-10-27) 1894年10月27日(52歳没) オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
ジャンル ロマン派(舞踏音楽)
職業 作曲家指揮者

ドイツ語アルフォンス・ツィブルカAlphons Czibulka)またはマジャル語ツィブルカ・アルフォンズCzibulka Alfonz, 1842年5月14日 キルヒドルフドイツ語版 - 1894年10月27日 ウィーン)は、ハンガリー人作曲家ピアニスト指揮者チブルカとも表記される。

甘美なサロン的小品で知られ、代表作は《ステファニー・ガヴォット》作品312(1880年)である。

生涯

1842年5月14日、オーストリア帝国領キルヒドラウフ(現スロバキア領スピシュカー・ノヴァ―・ヴェス)で誕生[1]。1865年、カール劇場ドイツ語版の第2楽長に就任(当時の楽長はフランツ・フォン・スッペ)。翌1866年にオーストリア軍に入り、軍楽隊長として名を馳せるようになった。入隊時の身分証明書類はスッペが書いた[1]

1894年10月27日、ウィーンにて没。

作品

  • 《ステファニー・ガヴォット》(Stephanie-Gavotte)op.312(1880年)
  • 間奏曲《舞踏会の後の夢》(Liebestraum nach dem Balle, Intermezzo)op.356
  • レントラー《高原の酪農小屋で》(In der Sennhütt'n, Ländler
  • オペレッタ《フィレンツェの聖霊降臨祭》(Pfingsten in Florenz

出典

  1. ^ a b c d 若宮 2013, p. 169.

参考文献

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