アリオバルザネースの反乱 (紀元前366年-紀元前363年)
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フリュギア(英語版)太守アリオバルザネース(英語版)は、ポントス(英語版)の支配者の息子で、ヘレスポントス・フリュギアのサトラップ職の正統な継承者アルタバゾス(英語版)が成長するまでの代理サトラップを務めていた。しかしアルタバゾスが任に就けるまでになった時、アリオバルザネースは地位を譲り渡すのを拒否し、紀元前366年にダタメースの反乱に合流した。 アリオバルザネースはスパルタ王アゲシラオス2世の支援を獲得した。紀元前366年カリアのマウソロスとリュディアのアウトフラダテスにアドラミティオン(英語版)を包囲されたが、アリオバルザネースはここを守り抜き、アゲシラオス2世の交渉もあって包囲軍は撤退した。アテナイもアリオバルザネースに同調する意図から、彼とその3人の息子にアテナイ市民権を与えた。しかし最後には、アリオバルザネースは息子のミトリダテス(英語版)に裏切られ、アルタクセルクセス2世により磔刑に処された。
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