アトキンソンの中止された試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「テラノバ遠征」の記事における「アトキンソンの中止された試み」の解説
スコットは南極点行に出発する直前に、シンプソンに1トン・デポを再度補給しておくよう命令していた。これらの命令は「5特別食(特別食は4人が1週間食べる食料)、あるいはどんなに少なくとも3特別食...運べるだけの犬の餌、1912年1月10日まで補給所におくこと」とされ、補給所まで運ぶ必要があった。アトキンソンが1月28日にエバンス岬に戻ると、最少の3特別食が保管されていることが分かったが、要請されていた犬の餌が運ばれていなかった。アトキンソンは自分で2特別食を運ぶことにしたが、明らかに犬の餌については何もしなかった。スコットの命令に従うために、アトキンソンはディミトリと犬と共に2月13日に出発した(スコットの命令では2月第1週だったが、これに合っていなかった)。ハットポイントには2月19日まで滞在し、この間にエバンス大尉が壊血病で死にそうになっていると、クリーンが足を縺れさせながら報告しにきた。アトキンソンがスコットとその隊員を救うために南へなぜ出発しなかったのかは不明である。1トン・デポに犬の餌が無いことは、スコットの命令にある3月1日に南緯82度あるいは82度30分で落ち合うことを恐らく実行できなかったことを意味していた。アトキンソンは十分な犬の餌が無かったので、スコットの指定した3月1日頃に南緯82度あるいは82度30分に達しえないことが分かったので、その出発を2、3週間遅らせ、エバンス岬とハットポイントでスコット隊が近づいて来るのを待ったのだと推計する者もいる。
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