アエクイへの特使(紀元前458年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:25 UTC 版)
「アウルス・ポストゥミウス・アルブス・レギッレンシス (紀元前464年の執政官)」の記事における「アエクイへの特使(紀元前458年)」の解説
紀元前458年、レギッレンシスは、他の二人の執政官経験者、クィントゥス・ファビウス・ウィブラヌスおよびプブリウス・ウォルムニウス・アミンティヌス・ガッルスと共に、アエクイへ特使として派遣された。アエクイはラティウム領に侵攻しており、これは前年にローマとアエクイが締結した講和条約に違反するものであった。しかし、アエクイの指揮官グラックス・クロエリウスは使節団に向かって、元老院からの伝言は陣営にある樫の木に向かって言えと言い放ち、使節団は神々にアエクイの無法とローマへの支援を訴えた。 使節団が帰還するとローマはアエクイに対する軍事行動を決定し、執政官の一人がアエクイ領に攻め込んだものの包囲された。更にサビニ人が大挙してローマへ侵攻してきたためルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスが独裁官に任命され、アエクイを包囲殲滅して凱旋式を挙行している。
※この「アエクイへの特使(紀元前458年)」の解説は、「アウルス・ポストゥミウス・アルブス・レギッレンシス (紀元前464年の執政官)」の解説の一部です。
「アエクイへの特使(紀元前458年)」を含む「アウルス・ポストゥミウス・アルブス・レギッレンシス (紀元前464年の執政官)」の記事については、「アウルス・ポストゥミウス・アルブス・レギッレンシス (紀元前464年の執政官)」の概要を参照ください。
- アエクイへの特使のページへのリンク