とび加藤と幻術使い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:37 UTC 版)
寛文元年(1661年)刊の『甲陽軍鑑末書結要本』巻9第13「まいす者嫌ふ三ヶ條の事」によると、永禄元年(1558年)に武田信玄のもとにとび加藤と名乗る、尺八を使ってどんな堀や塀も飛び越してみせるという者が仕官しにやってきたが、信玄は召し抱えてから密かに殺害した。また永禄2年(1559年)に上杉謙信のもとに「牛を呑む」幻術を操る者が来て、幻術を披露していたところ、木に登って「牛に乗っているぞ」と騒いだ(ネタをばらした)人がいた。幻術使いはこれを恨めしく思って、その場で夕顔を育てて扇であおぎ、花を咲かせて大きな実を成らせ、それを切ってみると、木に登っていた人の首が斬られていた。謙信はこの術者を密かに成敗した。同書はまた別に織田信長が「まいす者」を嫌い、成敗した、という説話を載せ、「名将は『まいす者』を嫌う」と総括している。 この話は、明末の馮夢竜『平妖伝』巻29、21の話に似ている、との指摘がある。
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