ありあけ (フェリー・初代)とは? わかりやすく解説

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ありあけ (フェリー・初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/04 23:59 UTC 版)

ありあけ(初代)
海外売船後の「SuperFerry 9」
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本
所有者 大島運輸
船舶整備公団
運用者 大島運輸
建造所 臼杵鉄工所佐伯工場[1]
IMO番号 8517396
経歴
進水 1986年
竣工 1986年7月8日[1]
就航 1986年8月30日[1]
運航終了 1995年9月
最後 2009年9月6日サンボアンガ沖で沈没
要目
総トン数 4,997 トン[1]
載貨重量 4,547 重量トン[1]
全長 147.5 m[1]
垂線間長 135.0 m[1]
23.0 m[1]
深さ 13.7 m[1]
喫水 5.6 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 NKK 18PC2-6V 1基[1]
推進器 1軸[1]
出力 13,500馬力[1]
最大速力 21.2ノット[1]
航海速力 20.3ノット[1]
旅客定員 200名[1]
積載能力 10フィートコンテナ166個[1]
車両搭載数 8トントラック94台、乗用車101台[1]
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ありあけは、大島運輸が運航していたフェリー

概要

波之上丸 (3代)の代船として臼杵鉄工所佐伯工場で建造され、1986年8月30日東京 - 那覇航路に就航した。本船の就航により、波之上丸は鹿児島航路へ転配され、鹿児島航路に従来就航していたエメラルドあまみは引退、奄美海運へ売却され、フェリーあまみ (初代)となった[1]

共有建造制度を利用して建造された船舶整備公団との共有船である。

ありあけ(2代)の就航により、1995年9月に引退した。

その後、海外売船され、フィリピンSuperFerry 9として就航していたが、2009年9月6日サンボアンガ沖で沈没した。

就航航路

東京航路

設計

波之上丸と比較して貨物搭載能力を重視した設計となっている。甲板上に大型のガントリークレーンを搭載しており、操舵室が一段高くなっているのが特徴である。両舷船尾および左舷船首にランプウェイを装備しており、トラック、乗用車などをロールオン・ロールオフ方式で車両甲板に搭載するほか、船首甲板がコンテナスペースとなっており、コンテナをガントリークレーンによるリフトオン・リフトオフ方式で搭載する。Dデッキにトラック、Cデッキに乗用車、コンテナを搭載する。DデッキとCデッキは船内スロープで連絡されている。

船内

船室

船室タイプの一覧
クラス 部屋数 定員 設備
特別室 4名×1室 4名 バス・トイレ付
特等 3名×1室 3名 バス・トイレ付
1等 2-4名×4室 16名 シャワー・トイレ付
2等寝台 8名×8室 48名 2段ベッド
2等和室 11名×1室 11名 畳敷き
2等 37名×2室
32名×1室
118名

設備

パブリックスペース

  • 案内所
  • エントランスホール

供食・物販設備

  • レストラン
  • 売店
  • 自動販売機

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「大島運輸の新造RoRo型貨客船「ありあけ」」『世界の艦船』第370号、海人社、1986年10月1日、146-149頁、2016年3月9日閲覧 



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