赤松晴政とは? わかりやすく解説

赤松晴政(あかまつ はるまさ) 1513~1565

才松丸 次郎 政 左京大夫
◇父:赤松次郎 子:赤松義祐、則家
 父より譲られて、播磨備前美作守護赤松氏当主となるが、その父は翌年守護代浦上村宗殺され、自らも軟禁状態におかれた。その後宗の傀儡存在として播磨置塩城主となる。細川高国擁する宗が、摂津出兵した際、晴政はその政敵細川晴元通じ大物崩れの戦い宗は戦死した。しかし、晴政に領国経営する権威はすでになく、子義祐と対立して放逐され一族政秀を頼るが、復権はならなかった。




固有名詞の分類

このページでは「戦国武将覚書」から赤松晴政を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から赤松晴政を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から赤松晴政 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤松晴政」の関連用語

赤松晴政のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤松晴政のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
戦国武将覚書戦国武将覚書
Copyright (C) 2025 戦国武将覚書 All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS