『実隆公記』の記述とは? わかりやすく解説

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『実隆公記』の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 03:48 UTC 版)

三源一覧」の記事における「『実隆公記』の記述」の解説

三条西実隆日記である『実隆公記』には、本書成立関わる以下のような記述見られる明応5年10月3日1496年11月7日)俊通朝臣来、河海花鳥両部一具抄出支度也、其事相談之、愚存分粗示之了 同年11月20日1496年12月24日)俊通朝臣来、勘一雑談河海花鳥等一奥書加之少々猶注等加之草本持来、一覧了 同年11月23日1496年12月27日)俊通朝臣来、源氏物語注事聴不審之事談之、愚存分示了 同年11月26日1496年12月30日)俊通朝臣花鳥余情河海抄一具書之、企抄出、銘並序事先日所望之、今日閑暇之間遺之

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