『坊っちゃん』と笹飴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 23:02 UTC 版)
上述の笹飴については夏目漱石の『坊っちゃん』において「越後の笹飴」として記されている。なお『坊っちゃん』執筆当時の漱石が笹飴を知っていたかどうかは不明だが、明治43年(1910年)の「修善寺の大患」で入院した長与胃腸病院の主治医、森成麟造が高田出身であり、この縁から森成はしばしば漱石に笹飴を送っている。 大正2年(1913年)1月に漱石が森成あてに送った手紙に「笹飴は私はたつた一つしか食べませんあとはみんな小供が食べてしまひました。さうして笹を座敷中に散らばしていやはや大変な有様です」という件がある。
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