『十八史略』の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:45 UTC 版)
『十八史略』では、介子推の具体的な行動として、亡命中飢えた重耳に自分の腿の肉を食べさせた(「割股奉君」)話を書いている。さらに、文公が緜上から介子推を参上させるために一本だけ道をあけて山を焼き払ったところ、介子推は現れず古木の中で母と抱き合って死んでいるのを発見された、とある。介子推の焼死を悼み、清明節の前日には火を使わず冷たい食事をとる風習が生まれた。これを寒食節といい、その日は家々の戸口に柳の枝をさし、介子推の魂を招いたという。多くの野の祭りなどで「紙銭」を焼く風習も、介子推の霊を慰めるためとも。現在の中国で、これらの風習は廃れている。
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