「武装共産党」壊滅と「非常時共産党」への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/03 03:31 UTC 版)
「武装共産党」の記事における「「武装共産党」壊滅と「非常時共産党」への移行」の解説
しかし「武装共産党」の冒険的活動方針は長続きするはずもなく、1930年7月、田中委員長が検挙された(7・15事件)ことで党中央部は再び壊滅した。また8月のプロフィンテルン第5回大会決議で共産党の武装方針は厳しく批判された(これにより刷新同盟は所定の目的を達したとして自主的に解散、全協に復帰した)。これ以後、共産党は「非常時共産党」時代へと移行し、党中央と組織の再建はモスクワ(クートヴェ)帰りの活動家たちに委ねられることになった。
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