「愛国王の理念」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/22 06:53 UTC 版)
「ヘンリー・シンジョン (初代ボリングブルック子爵)」の記事における「「愛国王の理念」」の解説
1735年にフランスへ渡りフォンテーヌブローへ移り住んだが、1738年にはイギリスへ戻った。この頃に書いた『愛国心についての手紙』や『愛国王の理念』の中でボリングブルック子爵は、現在の「腐敗しきっており、憲法違反をやめないホイッグ政権」を打倒するために反対党が必要であるが、政党政治は「政治的悪」であるので、いかなる党派も支持せずに「人民の共同の父」として「美徳の政治」を行う「愛国王」による親政が必要と訴えた。彼の理論によれば「愛国王」のもとでは腐敗も憲法違反もないので反対党は必要がないとされる。そのためボリングブルック子爵の政党論は終末論的と指摘される。
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