「ユダヤ人の王」という称号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 15:38 UTC 版)
「INRI」の記事における「「ユダヤ人の王」という称号」の解説
「ユダヤ人の王」は元々、イドマヤ人のヘロデ大王が紀元前37年にローマ元老院によって与えられた君主号である。実際に、マサダでは「ユダヤ人の王ヘロデのために」(羅語:Regi Herodi Iudaico)と書かれたアンフォラが発見されている。ヘロデの死後、その息子たち(アルケラオス、アンティパス、フィリポス)は王位を継ごうとしたが、誰もがローマに「王」としては認められず、ヘロデの領地の一部を統治する「領主」として認定されたのみである。(『マルコによる福音書』はアンティパスを「ヘロデ王」と呼ぶが、これは慣用的呼称であると考えられている。実際にはアンティパスが39年に追放されたきっかけの一つは王の称号を嘆願したことである。)
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