「おはよう朝日です」時代
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「江崎友基子」の記事における「「おはよう朝日です」時代」の解説
活動の拠点を大阪から東京へ移すまでは、朝日放送(当時)の看板番組『おはよう朝日です』で、宮根誠司が同局のアナウンサーとして平日版の司会を務めていた時期にアシスタントを担当していた。担当期間中には視聴者から絶大な人気を博していて、放送日の朝に、いわゆる「出待ちファン」が朝日放送の本社前で見られたほどであった。 アシスタントとしての担当期間は2001年4月からの3年間で、卒業翌年の2005年4月から喜多ゆかり(朝日放送アナウンサー)が11年半にわたって担当するまでは、歴代の担当者で最も長く出演していた。 番組からの卒業を控えていた2004年3月に、卒業記念企画の一環で「篠山ABCマラソン」フルマラソンの部に参加。無事に完走した。
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