大錦一徹とは? わかりやすく解説

大錦一徹

(Ōnishiki Ittetsu から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 09:15 UTC 版)

大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - )は、新潟県佐渡郡羽茂町(現役当時、現・同県佐渡市羽茂)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾堀 盛夫(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。最高位は東小結1973年11月場所)。


  1. ^ a b c 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p27
  2. ^ a b c 『相撲』2018年10月号 p.86
  3. ^ 1973年9月場所14日目。大錦は素早く左前ミツ、のど輪攻めにもこれを離さず、頭を付けてぐいぐいと寄る。攻め立てられても寄り返し、最後はもろ差しで寄り切った。
    『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p50
  4. ^ 最高位が関脇以下の力士に限れば、20歳0ヵ月での初金星は最年少記録である。また、新入幕力士の対横綱戦勝利は、それから41年後の2014年9月場所で逸ノ城鶴竜を破るまで出なかった。
  5. ^ 本割は、大関清國に対し敗北。
  6. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p56
  7. ^ 同級生と言われることもあるが、雑誌『相撲』の1973年11月号での北の湖・大錦対談で、同期ではあったがクラスは違っていたと、両者が発言している。
  8. ^ 2017年6月12日に10代友綱(元関脇・魁輝)が停年(定年)を迎えることに備えたもの。10代友綱の停年まで審判部副部長は3人制になる。
  9. ^ “北の湖前理事長を支えた山科親方が定年 花のニッパチ組の1人は「さっぱりしています」”. スポーツ報知. (2018年9月13日). https://hochi.news/articles/20180913-OHT1T50109.html 2018年9月13日閲覧。 
  10. ^ 白鵬の“抗議行動”に山科審判長「手本になる人がねえ」 Sponichi Annex 2017年11月22日 22:26(スポーツニッポン新聞社、2017年11月25日閲覧)
  11. ^ 左足小指裂傷により12日目から途中休場
  12. ^ 急性腰痛により4日目から途中休場、10日目から再出場
  13. ^ 頸椎捻挫により4日目から途中休場


「大錦一徹」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大錦一徹」の関連用語

大錦一徹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大錦一徹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大錦一徹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS