UボートXXVII型 実戦投入

UボートXXVII型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 13:47 UTC 版)

実戦投入

ヘヒトは能力上の問題から教育訓練に使用されたのに対して、ゼーフントは312K戦隊に配属され1945年初頭より実戦に投入され、1月1日に武装トロール船を撃沈することでデビューを果たした。

連合軍側の見解では、小型だったゼーフントをアスディックを用いて探知するのはほぼ不可能となり、水中を低速で潜航した場合は水中聴音機による探知からも自由だった。ポーツマス司令長官の任にあったサー・チャールズ・リトル提督は、「我々にとり幸運なことに、このろくでもない代物("those damn things")は、何かしらの損害を与えるには戦場への投入が遅きに過ぎた」とした。

ゼーフントは主にドイツの海岸およびイギリス海峡に投入され、荒天の海面で攻撃ができたが、潜航しての攻撃のためほぼ動く必要はなかった。1945年1月から4月までにゼーフントは142回の出撃を実施し、合計8隻、17,301tを撃沈した。また損傷を3隻に与え、この総計は18,384tである。不確実なものを含めるとその戦果はおよそ9万t~12万t近くになり、その中には7,000tの大型貨物船や自由フランスに供与されたハントⅢ級駆逐艦「ラ・コンバタント」も含まれる。35隻のゼーフントが任務中に失われた。

最後のゼーフントの任務は1945年4月28日、および5月2日に行われた。これら2度の特別な作戦はダンケルクに孤立したドイツの基地に食料を補給するもので、潜航艇は通常の魚雷の替わりに食料品の特殊格納容器を携行した。これはバター魚雷と呼ばれ、復路ではダンケルク駐屯軍からの郵便物を詰めて運ぶのに用いられた[1]

戦後

フランス海軍はダンケルクに放置されていたゼーフント4隻を接収し自国海軍に編入、これらを「S 621」「S 622」「S 623」「S 624」として就役させた。「S 622」は保管され、ブレストの国立海軍博物館で展示されている。ゼーフントは1952年~54年の間に順次除籍されたが、それまでの間にフランス海軍に貴重な各種データを提供した。

アメリカマサチューセッツクインシーにはマサチューセッツ軍事研究センターが置かれている。このセンターの一区画に海洋造船博物館があり、ここにU-5075が展示されている[2]。しばしばこの博物館の船を用いてアマチュア無線のイベントが開かれ、識別信号「WW2MAN」が用いられる。

主要諸元(XXVIIB型)

  • 全長:12m
  • 全幅:1.7m
  • 水中排水量:14.9t
  • 速度(水上/水中):7.7kt/6.0kt
  • 水上航続距離:260海里/6.0kt
  • 水中航続距離:20.5海里/3.0kt
  • 兵装:魚雷×2
  • 乗員:2名

  1. ^ Rohwer, Ju"rgen; Gerhard Hummelchen (1992). Chronology of the War at Sea 1939-1945. Naval Institute Press. p. 344. ISBN 1-55750-105-X 
  2. ^ German SEEHUND (KU-5075)


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