J.J.プッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/07 15:34 UTC 版)
アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代 (2011年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミシガン州ウェイン郡トレントン |
生年月日 | 1977年2月22日(46歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 250 lb =約113.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 MLBドラフト6巡目(全体185位)でシアトル・マリナーズから指名 |
初出場 | 2003年8月11日 トロント・ブルージェイズ戦 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | アメリカ合衆国 |
WBC | 2009年 |
この表について
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経歴
プロ入り前
1995年のMLBドラフト3巡目(全体84位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名されたが、この時は入団せずにミシガン大学へ進学した。
1998年のMLBドラフト17巡目(全体499位)ではミネソタ・ツインズから指名されたが、この時も入団せず。
プロ入りとマリナーズ時代
大学最終学年の1999年、MLBドラフト6巡目(全体185位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。2000年まではA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズに、2001年はAA級サンアントニオ・ミッションズに在籍し、当時は90mphの速球、カーブとチェンジアップが武器であった[1]。
右肩を痛め、2002年は開幕から故障者リスト入りで迎え、リハビリの過程で首脳陣と話し合い、右肩の負担を減らすためワインドアップをやめることを決断した[1]。これにより球速が5mph速くなり、ツーシームの方がフォーシームより速いという特徴が顕著になった[1]。
2003年のキャンプに中継ぎ転向を命じられ[1]、8月11日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビューを果たす。翌2004年開幕直前にロースターから漏れ、4月にメジャー昇格・降格を繰り返したが[2]、メジャー定着した。最初の登板から10試合連続無失点を記録し、8月7日には初セーブを記録し、故障したエディ・グアダードに代わって9セーブを挙げる。
2005年までは正クローザーはグアダードで固定されたためにセットアッパーとして投げる。当時は直球主体で押し切るスタイルだった[3]。2006年のキャンプでグアダードから「これを試してみたらどうだ。ノーシームだよ」と投げると落差が大きくなり、ボールの動きが安定し、スプリッターが改善された[1]。
2006年5月、師と仰ぎ、メンタル面での心構えなど、クローザーとして不可欠なものを正クローザーのグアダードから多く学んだ[4]が彼が不振に陥ったため、7月6日にトレードでシンシナティ・レッズへ移籍し[5]、代わりにクローザーへ転向[1]。リリーフとしてはアメリカンリーグ1位の104奪三振を記録するなど自身最高のシーズンを送り、1年でクローザーの地位を確立した。
2007年1月、マリナーズと3年総額1,310万ドル、4年目の2010年は球団のオプションで860万ドルで契約を結んだ[6]。そして迎えた2007年シーズンは68試合に登板し、球団史上佐々木主浩の45セーブに次ぐ球団歴代2位となる40セーブを記録した[1]。オールスターに初めて選出され、ローレイズ・リリーフマン賞を球団史上初めて受賞した。
2008年は4月1日のテキサス・レンジャーズ戦で右わき腹を痛め15日の故障者リストに入る。その後復帰するものの球威が戻らずセーブ失敗を繰り返し、11日のブルージェイズ戦では右ひじを痛め13日に再び故障者リストに入った。結局、08年シーズンのセーブ失敗8個は、クローザー転向以来最悪の数字となった。
メッツ時代
2008年12月10日にマリナーズ、ニューヨーク・メッツ、クリーブランド・インディアンスの間で計12選手が移籍する三角トレードが成立し、ショーン・グリーン、ジェレミー・リードと共にメッツへ移籍した[7]。
2009年は抑えのフランシスコ・ロドリゲスに繋ぐセットアッパーとしてメッツでのキャリアをスタートさせた。オフにFAとなった。
ホワイトソックス時代
2009年12月11日に1年300万ドルでホワイトソックスと契約した[8]。
2010年5月14日から7月20日まで25試合連続無失点とし、球団記録を更新した。記録は27試合連続無失点まで伸ばした。オフにFAとなった。
ダイヤモンドバックス時代
2010年12月7日、2年総額1,000万ドル(2013年の650万ドルはオプション)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約した。
2011年はクローザーに返り咲き、ナショナルリーグ3位の45セーブを挙げた。
2014年11月6日に引退を表明した。
引退後
引退後はダイヤモンドバックスの球団社長特別補佐に就任した[9]。
投球スタイル・人物
平均95 - 99mph(約152.9 - 159.3km/h)・最高102mph(約164.2km/h)を計時した事もあるストレートとスプリットが主体であるが、カーブやスライダーも投げることができる[3]。
入場時に用いる曲は、AC/DCのThunderstruckを選んでいる。
- ^ a b c d e f g 小林信行「終わりの合図 JJ・プッツ[マリナーズ#20]」『スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-6、50 - 53頁
- ^ “Transactions April, 2004” (英語). MLB.com. 2008年8月12日閲覧。
- ^ a b "Notes: Putz excels as closer," June 10 2006, MLB.com
- ^ "Notes: Putz has a mentor in Guardado," May 7 2006, MLB.com
- ^ “Eddie Guardado Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月12日閲覧。
- ^ Mariners closer agrees to $13.1M, three-year contract ESPN,com 2008年3月15日閲覧
- ^ “Three-team blockbuster nets Mets Putz Mariners and Indians involved in 12-player Meetings deal”. mlb.com. 2008年12月11日閲覧。
- ^ Levine, Bruce (2009年12月11日). “White Sox sign former closer Putz”. ESPN. 2009年12月11日閲覧。
- ^ “プッツ 引退、即Dバックスの社長特別補佐に就任”. スポーツニッポン (2014年11月7日). 2017年3月3日閲覧。
- 1 J.J.プッツとは
- 2 J.J.プッツの概要
- 3 詳細情報
- 4 関連項目
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
デニス・パウエル スコット・フェルドマン J.J.プッツ ボブ・ウォルコット デビッド・マーフィー |
ニューヨーク・メッツの選手 |
ウィリー・ランドルフ クリス・アギーラ J.J.プッツ 野茂英雄 フランク・バイオーラ |
シカゴ・ホワイトソックスの選手 |
ダリン・アースタッド ダマソ・マーテ J.J.プッツ チーフ・ベンダー レッド・ラフィング |
シアトル・マリナーズの選手 |
ダマソ・マーテ デニス・パウエル J.J.プッツ ボブ・ウォルコット マイク・ティムリン |
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