金閣寺放火事件
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再建
現在の金閣は国や京都府の支援および地元経済界などからの浄財により、事件から5年後の1955年に再建されたものである。金閣は明治時代に大修理が施されており、その際に詳細な図面が作成されていたことからきわめて忠実な再現が可能であった。
事件当時の寺関係者の回顧談等によると、焼失直前の旧金閣はほとんど金箔の剥げ落ちた簡素な風情で、現在のように金色に光る豪華なものではなかった。また修復の際に創建当時の古材を詳細に調査したところ金箔の痕跡が検出され、本来は外壁の全体が金で覆われていたとの有力な推論が得られたことから、再建にあたっては焼失直前の姿ではなく創建時の姿を再現するとの方針が採られた。
事件をテーマにした作品
この事件を題材に、川端龍子が第22回青龍社展(1950年)で日本画の大作『金閣炎上』を発表している。大きな炎をあげて燃え上がる金閣を描いており、事件からわずか2か月後の発表である。東京国立近代美術館所蔵。
また京都市消防局の1950年10月の国宝防災週間のポスターの絵は堂本印象が描いた焼失後の金閣で、焼けた骨組みの木材だけの姿。
小説では三島由紀夫『金閣寺』(1956年)や水上勉『五番町夕霧楼』(1962年)が書かれた。
この2つの小説を原作とする映画が、前者は1958年と1976年に、後者は1963年と1980年に公開された。これらのうち、市川崑監督『炎上』(1958年)と田坂具隆監督『五番町夕霧楼』(1963年)は評価が高い(キネマ旬報ベストテン第4位と第3位)。
黛敏郎は三島由紀夫『金閣寺』をもとにオペラ『金閣寺』(1976年)を作曲している。
水上勉は舞鶴市で教員をしていたころ、実際に犯人と会っていると述べている[4]が、 第一稿では現実には面識の無かったことがはっきり書かれておりこれは創作である。水上が1979年に発表したノンフィクション『金閣炎上』は舞鶴の寒村・成生の禅宗寺院の子として生まれた犯人の生い立ちから事件の経緯、犯人の死まで事件の全貌を詳細に描いたもので、事件の経緯を知るための一次史料とされているが、関係者である村上慈海住職の人物像などあくまで水上の主観によるものでしかない記述も多い。
酒井順子の『金閣寺の燃やし方』(2010年)は三島由紀夫と水上勉の金閣についての作品を比較し論じている。
2020年には内海健が、三島由紀夫の『金閣寺』と水上勉の『金閣炎上』を結びつけて、精神医学者から見た当事件を扱う『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』を発表し、大佛次郎賞を受賞している。
脚注
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