金沢大学附属高等学校
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金沢大学附属高等学校 | |
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校舎全景(校名変更前の様子) | |
北緯36度32分19.5秒 東経136度39分50.89秒 / 北緯36.538750度 東経136.6641361度座標: 北緯36度32分19.5秒 東経136度39分50.89秒 / 北緯36.538750度 東経136.6641361度 | |
過去の名称 |
(旧制)金沢高等師範学校附属中学校 金沢高等師範学校附属高等学校 金沢大学金沢高等師範学校附属高等学校 金沢大学教育学部附属高等学校 国立大学法人金沢大学教育学部附属高等学校 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人金沢大学 |
学区 | 石川県内全域(例外あり) |
設立年月日 | 1947年5月24日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D117110000018 |
高校コード | 17001B |
所在地 | 〒921-8105 |
石川県金沢市平和町一丁目1番15号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
1947年(昭和22年)5月24日、金沢高等師範学校に附属中学校(旧制)が付設される。これは、終戦間際の1945年(昭和20年)1月に発足した特別科学学級を引き継いでいる[1][2][3]。
1948年(昭和23年)4月1日、金沢高等師範学校に新制の附属高等学校が付設される。1952年(昭和27年)4月1日、金沢大学教育学部附属高等学校と校名が変更される。
戦後、1949年(昭和24年)5月31日に金沢市所在の旧制諸学校を包括した新制大学金沢大学が発足する。金沢大学は戦前からの系譜をもつ総合大学であり、金沢市の人口に見合わない難関大学となる[4]。そのため、金沢大附属には金沢圏の受験上位層が集中し、北陸屈指の進学校の一つとなる[4]。
金沢の人口が減ったため、大学合格実績はかつてよりは下がったが、東大・京大・国立医学部の学年に対する合格率は現在でも40~50%となっている[4]。
学区は基本的には石川県内全域となっている。能登地方などの遠方から学校近くにある下宿へ引っ越し、そこから通学する生徒に加え、北陸本線の特急列車を利用して毎朝通学する生徒もいる。少数ではあるが、富山県、福井県などから越境通学する生徒もいるが、その他の地方からの場合は石川県内に保護者と同居する場合に限り出願が認められる。
2014年 - 2018年度までスーパーグローバルハイスクール(文部科学省)に指定されている。2019年 - 2021年度までWWL(ワールド・ワイド・ラーニング)コンソーシアム構築支援事業(文部科学省)に指定されている。
立地
金沢市内中心部から離れた閑静な住宅地の中に立地している。向かい側には陸上自衛隊金沢駐屯地がある。金沢大学の総合運動施設の跡地へ1995年(平成7年)に広坂キャンパスから教育学部附属の幼稚園・小学校・中学校が移転した。
- ^ 金沢大学50年史編纂委員会「第5章 金沢大学の整備と拡充」『金沢大学五十年史 通史編』(初版)金沢大学創立50周年記念事業後援会(原著2001年8月31日)、564頁 。2009年11月26日閲覧。
- ^ 金沢大学50年史編纂委員会「第5章 教育学部」『金沢大学五十年史 部局篇』(初版)金沢大学創立50周年記念事業後援会(原著1999年6月30日)、285-286頁 。2009年11月26日閲覧。
- ^ “全国の特別科学教育の歩み”. 前野長昭. 2020年7月28日閲覧。
- ^ a b c 中学受験の歴史 - 高校ランキング - ウェイバックマシン(2020年10月23日アーカイブ分)
- ^ 校長挨拶 | 学校概要 | 金沢大学附属高等学校
- ^ 金沢大付高HP改ざん、中国からアクセス千回超
- ^ 金沢大付属高:教員用HP改ざんされる 中国からの犯行か
固有名詞の分類
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