護国戦争 護国戦争の概要

護国戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/09 07:52 UTC 版)

護国戦争

着色された部分が独立を宣言した地域
1915年12月25日-1916年7月14日
場所中国西南、華南華東
結果 袁世凱は帝制を取り消しその後死去。護国軍が勝利し、再び共和制に戻った。
衝突した勢力
護国軍 中華帝国
指揮官
蔡鍔
唐継堯
梁啓超
李烈鈞
陸栄廷
袁世凱
張敬堯
馬継曽
曹錕
馮玉祥
戦力
20,000以上 70,000以上

袁世凱が1915年12月に北京で帝政を宣言したことにより、南方の軍閥雲南派)の唐継堯蔡鍔李烈鈞などが雲南省で独立を宣言し、あわせて袁世凱討伐の兵を起こした。袁世凱の軍隊は敗北し、南方のその他の地域でも独立を宣言することとなった。袁世凱は内外の圧迫により帝政を取り消し、数ヶ月後に病没した。




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