罪刑法定主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 02:08 UTC 版)
日本における沿革
律令をはじめとする日本も含めた近代以前の東アジア諸国の法体系においては、刑罰は法律の条文に基づいて行われることにはなっていたが、その一方で社会秩序の維持を名目として、法令に明記されていない(無正条)犯罪を類似した正条を根拠に裁く規定である「断罪無正条」や、法令に該当しない軽犯罪の裁判を行政官の情理による裁量に委ねる「不応為条」が必ず設けられており、類似の犯罪行為の規定からの類推適用が許されており、「法律なくして犯罪なし」とする罪刑法定主義の主旨とは対極に位置していた。これは東アジアの法体系における刑罰は厳格な絶対的法定刑(固定刑)を原則としており、こうした類推適用は国家や官吏の擅断によって刑罰が行われる危険性を持つ一方で、「法の欠缺補充機能」及び「減刑機能」によって絶対的法定刑を原則とする刑事法の弾力的運用を図るという側面を有していた。このため、こうした類推適用を排して罪刑法定主義を導入するためには法定刑の仕組を見直すなどの法体系の抜本的な変更を必要とした[8]。
ただし、ヨーロッパで罪刑法定主義思想が主張される以前の徳川期の刑法でも、類推や拡張解釈については厳重な拘束があり、裁判官の自由に委ねられていたのではないことが指摘されている[9]。
罪刑法定主義が日本で制度的に確立されるのは明治時代の旧刑法施行以後のことであり、大陸法の影響を受けた明治憲法(第23条)にその趣旨が規定されている。現行の日本国憲法では、第31条と第39条が主な根拠条文とされ、73条6号による、法律の委任以外の政令による罰則設定禁止と41条の国会中心立法から、慣習刑法の禁止は当然と解される[10]。現行刑法には罪刑法定主義について直接触れた条項は存在しない[注 1]。
注釈
出典
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[1][2]PDF-P.3,P.9
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[3][4]PDF-P.9,10
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[5][6]PDF-P.10,P.11
- ^ 平野龍一『刑法 総論 Ⅰ』有斐閣、1972年、179-206頁。
- ^ Boot, M. (2002). Genocide, Crimes Against Humanity, War Crimes: Nullum Crimen Sine Lege and the Subject Matter Jurisdiction of the International Criminal Court. Intersentia. p. 94. ISBN 9789050952163
- ^ これはドイツ連邦共和国基本法103条2項およびドイツ刑法1条に関するドイツ憲法裁判所の意見による。Jescheck and Weigend, Lehrbuch Des Strafrechts: Allgemeiner Teilp. 128.
- ^ a b c 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁。
- ^ 岩谷十郎『明治日本の法解釈と法律家』(慶應義塾大学法学研究会、2012年)P177・P187・203
- ^ 鵜飼信成・福島正夫・川島武宜・辻󠄀清明編『講座 日本近代法発達史11』(勁草書房、1958年)288頁、佐伯千仭「刑事法より見たる日本的伝統」(論叢第50巻5・6号)
- ^ 渋谷秀樹(2013) 『憲法(第2版)』 p196-7 有斐閣
- ^ Shaw v. Director of Public Prosecutions [1962] A.C. 220.
- ^ C. v. Mochan, 110 A.2d. 788 (Pa.Super.Ct.1955).
- ^ 田中英夫『英米法総論』(下),東京大学出版会,1980,580頁,Loewy, Arnold H. "Criminal Law". 4th Ed., West Groop, 2003, 300.
- ^ 萩原滋「《論説》実体的デュー・プロセスの理論の一考察(一)」『国士舘法学』第22巻、国士舘大学法学会、1990年3月、179-206頁。 など
- ^ a b 山本 2003, pp. 53–57。
- ^ 「国際刑法と罪刑法定主義」小寺初世子(広島平和科学1982)[7][8]PDF-P.12
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