漁業協同組合 歴史

漁業協同組合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 00:20 UTC 版)

歴史

日本では伝統的に網元網子漁民)の関係があったが、明治期に漁業を国家へ編入させるため「漁業組合準則」が1886年に制定され、漁業従事者に組合設立を義務付けた。それに伴い全国各地で「漁業組合」が発足し、漁業権を管理する実際的な役割を果たしてきた。1910年には既存の漁業法が全面改正され、漁業組合は経済活動を行うことを認められ、今日の販売・加工事業や購買事業に相当する事業が行われるようになった。

世界恐慌下の1933年なると、漁業法が改正されて漁業組合に出資制度が取り入れられるとともに、「漁業協同組合」に組織変更した漁業組合による事業活動の自由が大幅に認められた。さらに1938年には漁業協同組合に信用事業の実施を認める法改正が行われた。このように漁業組合の協同組合化が奨励されたが、これにより漁業協同組合が互助団体として漁村を支える役目を担うようになった。

太平洋戦争が勃発すると、1943年3月公布の「水産団体法」で各地の組合は「漁業会」となり、道府県の「水産業会」に、全国的には「中央水産業会」に統合されて、全国の漁業界は国家統制下に置かれた。[1]

1945年に日本が敗戦すると、漁業会などの水産統制団体は全面的な改廃が迫られた。そうした中、戦後の民主化政策のもと、1948年には水産業協同組合法が公布されて、その規定により現在の漁業協同組合が設立されることとなった。

当初は全国に3000以上設置された漁協だが、組合員の減少や漁業環境の悪化のなか、経営基盤や事業を安定・強化するため、今日まで漁協の統廃合が促進されてきた。そのため2023年現在では沿海漁協の数が861(全漁連調べ)にまで減少した。しかしその多くが事業利益赤字に陥っているため、さらなる合併や効率的運営が求められている。


注釈

  1. ^ 二者は「経済事業」と総称される。特に販売事業が主力となるが、1990年をピークに今日まで販売額は右肩下がりである。この点、参考文献の著者は、国民的に食が細くなっていることや魚離れといった需要減少を理由にしている。魚離れに関しては、食材として規格化されにくい性質と、そこに着目した小売店の撤退を興味深く論じている。
  2. ^ 2011年時点でわかっている範囲でも、職員が0人~2人の漁協が282もある。10人未満の漁協の数は全体の6割以上だ。
  3. ^ 他方、漁業経営者が免許されるのは経営者免許漁業権という。経験者優先、地元優先のうえ、より多くの地元漁民が参画した組織に与えられる。あくまで漁協優先だ。実は、組合管理漁業権と経営者免許漁業権のいずれにもあてはまらない形態の方が多い。江戸時代から村共同で営まれているものや、漁協と漁民との共同経営、漁民と民間企業との共同経営、地元漁民が設立した会社法人や水産業協同組合法上の漁業生産組合など。
  4. ^ 2013年4月、漁業権を民間企業に開放しようと宮城県が申請していた「水産業復興特区」の計画を復興庁が認定。[3]

出典






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