清峯門継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/07 15:04 UTC 版)
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出自
清峯氏(清岑氏)は、阿倍氏の一族である竹田氏(竹田臣)の後裔氏族。
経歴
左京の人。弘仁4年(813年)一族5人とともに、竹田臣から清岑宿禰に改姓する(この時の位階は従八位下)[1]。嵯峨天皇に重用されて、左衛門少尉に抜擢される。弘仁12年(821年)外従五位下・上野介に叙任され、翌弘仁13年(822年)右馬助に転じた。淳和朝では昇進の機会がなかったが、天長10年(833年)仁明天皇の即位に伴い従五位下に叙せられる。仁明朝では、駿河介・長門守・典薬頭・備後守・縫殿頭を歴任した後、承和13年(846年)正五位下、承和15年(848年)従四位下と昇進した。またこの間、承和3年(836年)に宿禰から朝臣に改姓している[2]。
のち、難波に隠居するが、斉衡2年(855年)閏4月7日病により卒去。享年74。最終官位は散位従四位下。[3]
人物
世俗の事柄に熟練して深く通じていたが、他に才学はなかったという[3]。
参考文献
- 1 清峯門継とは
- 2 清峯門継の概要
- 清峯門継のページへのリンク