永田能隆 永田能隆の概要

永田能隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 06:56 UTC 版)

永田 能隆
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県知多郡武豊町
生年月日 (1973-01-18) 1973年1月18日(51歳)
身長
体重
183 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

現在は、中日ドラゴンズ打撃投手

来歴・人物

武豊高から名城大学へ進み2年春に2部リーグ優勝で1部昇格、4年秋は優勝して明治神宮野球大会に出場も登板なし。社会人野球北陸銀行では2年目にNTT北陸の補強選手として都市対抗野球に出場[1]1997年ドラフト会議オリックス・ブルーウェーブから6位指名を受け入団。日本球界では珍しい、ナックルボールを武器とする投手であった[2]

1年目の1998年、2年目の1999年ともに一軍(パシフィック・リーグ)公式戦での登板機会はなく、1w99年オフに解雇された[3]

2000年中日ドラゴンズ打撃投手を務めたが、オフのハイサイリーグでの好投が首脳陣の目にとまり、中日で現役復帰を果たした。

しかし2001年も一軍(セントラル・リーグ)公式戦では登板できず、同年10月12日に中日から戦力外通告を受けた[4]。同シーズン限りで現役を引退し、2002年からは再び中日で打撃投手を務めている。

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 62 (1998年 - 1999年)
  • 122 (2000年)
  • 94 (2001年)
  • 118 (2002年 - )

関連項目


  1. ^ 1998プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社編
  2. ^ [1] 職業野球を追いかけて 2014年6月4日
  3. ^ 中日スポーツ』1999年11月16日第5版2頁「自由契約」(中日新聞社
  4. ^ 中日新聞』2001年10月13日朝刊第一スポーツ面29頁「プロ野球短信 12日 4投手に戦力外」(中日新聞社)


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