村井親長 村井親長の概要

村井親長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 16:25 UTC 版)

父は加賀藩年寄村井長朝。養子は村井長堅通称は藤十郎、出雲。官位は従五位下・豊後守。本姓は平氏(桓武平氏)。家紋は「丸ノ内上羽蝶」。

生涯

承応元年(1652年)、村井長朝の子として生まれる。明暦2年(1656年)、父の死去により4歳で家督相続する。

寛文11年(1671年)、父の遺領を全て相続することを許され、知行1万6500石となる。貞享4年(1687年)、東山天皇即位式の祝賀使を務めた。元禄2年(1689年)、人持組頭となる。藩主前田綱紀により、七手頭(本多家、長家、前田土佐守家、前田対馬守家、奥村宗家、奥村分家)に村井家を加えられ八家(加賀八家)となる。八家は、年寄を輩出する藩内最高の家格と定められた。元禄14年(1701年)7月、金沢城代となる。宝永5年(1708年)、従五位下・豊後守に叙任される。

宝永8年(1711年)没、享年60。家督は養子の長堅が相続した。

参考文献




「村井親長」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村井親長」の関連用語

村井親長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村井親長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村井親長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS