日本の慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 06:20 UTC 版)
慰安婦の強制連行
1990年、韓国の英文学者、尹貞玉が、数万人もの日本統治時代の朝鮮人女性が日本政府により女子挺身隊の名目で徴用され、慰安婦として戦地に送られたとし、日本政府に真相解明を要求した[106][107]。日本政府は、この話を否定している[108]。
秦郁彦は、膨大な数が存在するはずの行政文書が一つも見つからないことなどから、この話に否定的である[109]。一方、吉見義明は、慰安婦の強制連行を史実だとしている[110]。尹と吉見は、日本政府が資料を焼却したり非公開にしていると説明している[111][112]。
韓国の李栄薫も、日本の朝鮮総督府が慰安婦を動員したことを示す証拠はないとし、強制動員説を批判している[113]。
強制連行
1950年代に生まれた言葉で[114]、戦時中の国家総動員法(国民徴用令ほか)に基づく労務動員を意味する言葉とされる[注釈 5]。ただし、この言葉については、定義が曖昧で歴史用語としては相応しくないという批判もある[116]。詳しくは「強制連行」を参照のこと。韓国では「強制動員」とも言う[113]。
女子挺身隊と慰安婦の混同
女子勤労挺身隊とは、主に工場などでの労働に従事する女性を指す。太平洋戦争末期の1944年8月、労働力が逼迫する中で日本の内地において、女子挺身勤労令が出され、12歳から40歳までの未婚の日本人(内地人)女性が、国民の義務として工場などへ動員された[117]。
尹貞玉は、女子挺身隊として連行された朝鮮人女性が慰安婦にされたとし、自分自身も国家総動員法に応じる書面に捺印させられたと述べている。しかし実際には、朝鮮半島(当時の日本領)においては、女子挺身勤労令は発令されていなかったとされている[117][113]。
秦郁彦は、千田夏光が1970年代に出版した『従軍慰安婦』の中で、朝鮮人慰安婦が(女子)挺身隊として動員されたと書いたことが、誤解を生んだとしている[118]。
また、1980年代には、元労務報国会の徴用隊長を自称する吉田清治が、戦時中、朝鮮半島で行った女子挺身隊(慰安婦)狩りを証言し、朝日新聞などで度々報じられた。しかし現在では、「吉田証言」は偽証だったとされている[119]。
女子挺身勤労令は朝鮮人には適用されなかったものの、教師などの斡旋により女子挺身隊として内地の工場に向かった朝鮮人の女学生がいた。その為、 太平洋戦時にも「女子挺身隊に動員されると慰安婦にされる」といった流言(デマ)が、朝鮮で流布していた[120]。
- ^ 1945年まで、朝鮮や台湾の住民は日本国籍者だった。
- ^ 芸娼妓解放令(1872年)や、朝鮮での「娼妓類似営業の取締」(1881年[51])、娼妓取締規則(1900年)等では「芸娼妓・娼妓」と呼んだ。
- ^ 「慰安」とは、一般に「心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また、そのような事柄」「日頃の労をねぎらって楽しませること」を意味する[52][53][54]
- ^ 林博史は募集広告を出したのが何者かについては、触れていない[101]:106。前述の朝鮮半島の広告は、業者が出したものである[102]。
- ^ 「強制連行#事典類の採録状況と解説」参照。主に朝鮮人に対する労務動員に関して用いられる[115]:61。
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