敬台院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 18:58 UTC 版)
生涯
文禄元年(1592年)に小笠原秀政の長女として産まれる。その後、母方の曾祖父の徳川家康の養女となり伏見城に移る。慶長5年(1600年)、9歳のときに阿波国徳島藩主・蜂須賀至鎮に嫁ぐ[1]。
蜂須賀に嫁いでからは日精に深く帰依し、大石寺御影堂の建立寄進、江戸鳥越・法詔寺建立、大石寺朱印状下附の実現、総本山二天門の建立、日精の公儀年賀における乗輿の免許、大石寺基金七百両の寄進、「細草檀林」設立に当たっての支援などに貢献した。
正保2年(1645年)に江戸の法詔寺を阿波に移して敬台寺を創立した。日蓮宗富士派(現在日蓮正宗)の信徒であったことで知られている。
寛文6年(1666年)に死去し、敬台寺に葬られる。法名は敬台院殿妙法日詔大姉。
参考文献
固有名詞の分類
- 敬台院のページへのリンク