慶應義塾獣医畜産専門学校 (旧制) 概要

慶應義塾獣医畜産専門学校 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 03:04 UTC 版)

概要

  • 本科(修業年限3年)に農学科林学科・獣医畜産学科・農芸化学科の4科の設置を準備した。
    • 文部省はこの農業専門学校の設置に難色を示した。理由は、理科系教育の重視とはいえ、農学関係の専門学校は既存のものの拡充を図る方針をとり、新設は差し控えたいということであった。そこで塾長が文部大臣、次官、局長らと面談して打開策を講じ、さらに塾員の代議士飯塚茂の斡旋もあった結果、ようやく農業専門学校の一科である獣医畜産学科を独立させて獣医畜産専門学校として設置することとなった。
  • 終戦後、獣医畜産専門学校を農学部にしようとの動きもあったが、戦災で痛手を受けた義塾当局に新学部を設置するような余力はなく、在学生の卒業を待って廃校となった[1]
  • 志木の校地は慶應義塾農業高等学校(現・慶應義塾志木高等学校)に継承された。
  • 農業研究所を開設して農業研究の充実に意欲を示していた。

沿革

  • 1944年3月31日専門学校令により獣医畜産専門学校の設立認可
    • 本科(獣医畜産学科: 修業年限3年)を設置
  • 1944年4月18日:第16期第28回評議員会において獣医畜産専門学校設立の件を可決し、4月に入学試験を行い、日吉において開校
  • 1944年8月1日:第一学年生約30名、岩手県小岩井牧場にて農耕作業に従事
  • 1945年4月16日:空襲により畜舎などを失う
  • 1945年10月1日:川崎市蟹ヶ谷帝国海軍通信隊分遣隊のあとを借用して、そこに居を定めた[2]
  • 1947年5月31日:獣医師無試験検定資格を申請し、第一回卒業生に対して獣医師の免許が与えられる
  • 1948年3月19日:獣医畜産専門学校を農業高校に転換することに決定
  • 1949年3月31日:最後の卒業生を送り出して廃校

歴代校長・教員

  • 初代:小泉信三
    • 教員の選考にあたっては東京帝国大学名誉教授薗部一郎、同農学部教授田中丑雄、島田錦蔵らの助言を得た。また開設にあたり、田中在雄が顧問、四条隆徳、岡部利雄が創立委員に任命され、さらに西谷謙堂(大学予科教授兼獣医畜産専門学校主事)、山本敏夫、早川豊水、柳葉好治、細井時雄、田淵栄、鈴木五郎が設備委員に挙げられた。
  • 第2代:槇智雄
  • 第3代:奥井復太郎
  • 不明:潮田江次 - 1947年(昭和22年)1月から1948年(昭和23年)8月まで校長

  1. ^ 『慶應義塾百年史』 下巻、226頁
  2. ^ 米軍によって日吉校舎を接収されたため(『慶應義塾百年史』 下巻、225頁)





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