巨摩郡 中世以降

巨摩郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 21:28 UTC 版)

中世以降

巨摩郡における荘園の初見は、『仁和寺文書』法勝院領目録の安和二年(969年)7月8日に記載される市河荘で、市河荘の立荘は甲斐国において早く、荘園公領制確立以前の10世紀に成立した荘園と評価されている。

中世には甘利荘、逸見、加々美荘、大井、布施荘、奈古、鎌田、大八幡、山小笠原、原小笠原、小井川、鷹津名、志摩荘などの諸庄が見られ、ほか小笠原、逸見、武川、八田、飯野などの牧や、藤井、杣などのも成立する。平安時代後期には常陸国から流罪となった源義清・清光親子が市河荘に土着し、さらに八ヶ岳山麓の逸見牧をはじめその子孫は甲府盆地各地の荘園で進出し、甲斐源氏の一族となる。甲斐源氏は棟梁の甲斐武田氏をはじめ、逸見氏一条氏甘利氏加賀美氏小笠原氏南部氏、奈古氏の氏族を分出した。このうち巨摩郡では棟梁の武田氏のほか、西郡一帯には加賀美氏の一族が進出した。

近世には甲州街道の韮崎宿、台ヶ原宿教来石宿が整備された。また、韮崎宿から信濃国佐久地方へ至る佐久往還が整備され、若神子宿と長沢宿がおかれた。また富士川水運による廻米輸送も行われた。

1878年郡区町村編制法により分割されることとなる。当初は西巨摩、東巨摩、南巨摩の3郡に分割する予定であったが、内務省の指令により、それぞれ北巨摩郡中巨摩郡南巨摩郡の3郡に分割された。

近世以降の沿革

所属町村の変遷は南巨摩郡#郡発足までの沿革中巨摩郡#郡発足までの沿革北巨摩郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

  1. ^ 関晃「甲斐の帰化人」『甲斐史学』 1号、1957年。 収録 - 関晃著作集編集委員会 編『関晃著作集』 第5巻、吉川弘文館、1997年2月。ISBN 4-642-02305-4 
  2. ^ 改訂新版・世界大百科事典「万葉仮名」の項(ジャパンナレッジ)”. 平凡社刊 (2007年). 2018年10月13日閲覧。
  3. ^ 田中健彦著 (2014年). “万葉仮名甲類乙類音韻の研究”. 2018年10月13日閲覧。
  4. ^ 村石「甲斐の馬生産の起源」『動物考古学』
  5. ^ 大塚初重「積石塚古墳と古代馬」『東国の古墳と大和政権』
  6. ^ 磯貝正義「郡の成立甲斐国巨麻郡の場合」『郡司及び采女制度の研究』
  7. ^ 末木健「甲斐国巨麻郡の成立と展開」「甲斐仏教文化の成立」『山梨県立考古博物館・県埋蔵文化センター研究紀要』


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