奈良和 来歴・人物

奈良和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 23:45 UTC 版)

来歴・人物

1957年(昭和32年)東京教育大学農学部卒業[1]九州朝日放送にアナウンサーとして入社[2]

1958年(昭和34年)、開局を控えるNETテレビに移籍し[3]、59年の皇太子ご成婚パレードでは民放の代表実況を務めた[3]。その後、『モーニングショー』の総合プロデューサーに就任した小田久栄門によって、第3代メインキャスターに起用され[4]、(番組は司会者名の冠タイトルが付くため「奈良和モーニングショー」)1969年~76年まで担当した。

1977年(昭和52年)、通称がテレビ朝日に変更になったのと同時に初代アナウンス部長に就任し、古舘伊知郎など後進の育成に努めた。

1994年(平成6年)、退職。

1995年1月30日、急性心筋梗塞のため、都内の病院で死去。61歳没[3]

弟にTBS報道アナウンサーを担った奈良陽がいる。

脚注

参考文献



  1. ^ 『1979年度版 芸能手帳 芸能界紳士録』(連合通信社、1978年)p126
  2. ^ 九州朝日放送50年史資料編、社員入退社一覧154ページ
  3. ^ a b c 『読売新聞』夕刊 1995年1月31日 15頁
  4. ^ 志賀 2003, p. 421.


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