国鉄スニ40形客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 05:31 UTC 版)
運用の変遷
1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正で小荷物輸送の近代化が実施に移され、汐留駅など大規模な駅への自動仕訳装置導入、拠点駅のみ停車し所要時間を短縮した「急行荷物列車」の新設とともに小荷物のパレット輸送が開始された。スニ40形は同改正実施とともに運用を開始し、東海道・山陽本線系統をはじめとする幹線系の荷物列車 および 幹線系統に継走される区間を主として使用された。翌年にはスニ41形が製作され、使用を開始した。
本形式は小荷物輸送の荷役効率向上に成果を示したが、間もなく、車体設計のみならず車両運用をも貨車と共通化する方針が具体化した。これは荷物車(客車)による小荷物輸送と、有蓋車(貨車)による通運業者を主とする小口混載貨物とに兼用できる「荷貨物兼用車」ワキ8000形・ワサフ8000形として完成し、以降の増備はこれら兼用車[5]に移行して本形式の製作は終了した。
荷物列車のみならず、一部には特急列車や急行列車に併結され、新聞・雑誌輸送などに使用される運用も存在した。定期運用のあった優等列車は以下のとおりである。
- 「鳥海」(上野 - 秋田)[6]スニ40形 + スニ41形
- 「八甲田」(上野 - 青森)スニ41形
- 「北星」(上野 - 長町)[7]ワサフ8000形(ワサフ8800 - ワサフ8802)
- 「北陸」(上野 - 金沢)[8]スニ41形
- 「能登」(上野 - 金沢)スニ41形
- 「だいせん」(大阪 - 出雲市・大社)スニ41形
- 「つくし」(新大阪 - 博多)スニ40形
- 「音戸」(京都-糸崎) ワサフ8000・ワキ8000
これらの急行併結運用は特急化や列車そのものの廃止などで順次終了し、引き続き各線区の荷物列車でマニ50形やマニ44形などとともに使用されてきた。昭和59年ダイヤ改正で有蓋車としての使用が終了したため引き続き荷物車として使用されたものの、翌々年のダイヤ改正で小荷物輸送が全面廃止されると、他の荷物車・郵便車および有蓋車と同様に用途がなくなり、1987年(昭和62年)4月のJR移行までに全車が廃車され形式消滅している。
- ^ ワム80000形などの貨車に使用する平パレットとは異なり、小荷物用のものはケージ状の筐体に移動用のキャスターを設けた「ロールボックスパレット」の一種である。
- ^ 尾久客車区 - 上野駅地平ホーム間の推進運転時にはこの扉を開け、車端のブレーキ管に延長ホースをつないで車内へ引き込み、ブレーキ弁、プレーキ管圧力計、警笛が接続される。
- ^ クリエイティブ モア「荷物車・郵便車の世界」134Pより
- ^ クリエイティブ モア「荷物車・郵便車の世界」136Pより
- ^ 形式上は貨車に分類されるが、使用開始時から小荷物運用に限定して使用された。兼用車ではあるが、貨物列車への使用例はない。
- ^ 1982年(昭和57年)11月ダイヤ改正で急行列車としての運転を終了している。
- ^ 小学館 『コロタン文庫22 ブルートレイン全百科』p207。1975年(昭和50年)3月10日から同年11月23日まで連結された。上りは仙台から上野まで回送扱いで連結された。
- ^ 1975年(昭和50年)3月ダイヤ改正で寝台特急に格上げされた。この運用は急行時代のものである。なおこの時期の当列車が絵本「やこうれっしゃ」に描かれており、スニ41も登場している
固有名詞の分類
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