全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方 全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方の概要

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全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 15:32 UTC 版)

全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ廃止ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム

日本の法令
通称・略称 廃城令・城郭取壊令
法令番号 明治6年1月14日太政官(達)
種類 金融法
公布 1873年1月14日
条文リンク 法令全書
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全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム

日本の法令
通称・略称 廃城令・城郭取壊令
法令番号 明治6年1月14日太政官(達)
種類 防衛
公布 1873年1月14日
条文リンク 法令全書
ウィキソース原文
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概要

「存城」「廃城」の意味

太政官から達として陸軍省および大蔵省に発せられた文書で、今まで全国の城郭の土地建物については、陸軍省所管財産であったが、今後陸軍が軍用の財産として残す部分については存城処分、すなわち引き続き陸軍省所管の行政財産とするも、それ以外については廃城処分、すなわち大蔵省所管の普通財産に所管換えし、大蔵省において処分すべきものとした。

この場合の存城処分=陸軍省行政財産とは旧城郭陣屋を、現在の概念である「文化財」として土地や建造物を保存しようとするものではなく、陸軍の兵営地等として旧来の城郭建造物、石垣、樹木等を整理すべしとしたものである。その後、陸軍の兵営地とする目的で城郭建造物がすべて取り壊された若松城の例がある一方、一部の建造物が取り壊され、陸軍施設が設置されたが、天守等の主要な建造物やほとんどの遺構が現存し、国宝特別史跡になっている姫路城の例がある。例外的に、存城処分として陸軍用地となった城郭であっても、彦根城のように、明治政府の特例政策[1]として城郭の土地と建造物が保存され、国宝、特別史跡となっているものもある。

また、廃城処分とは大蔵省の普通財産に所管換えし、地方団体や学校敷地等として売却するための用地となったものである。全国のほとんどの城郭陣屋の建造物が取り壊され、土地は払下げられた。ただし、犬山城松本城のように、建造物が売却、取壊しの対象になったが、それぞれの理由により現存し、国宝、史跡になっているものもある。

後に行われた明治23年の不用「存城」払下

後に、1890年(明治23年)になって、陸軍省用地としたものの不用になった城郭である土地が、元藩主や地方団体に限り、公売によらず相当対価をもって払い下げられることもあった[2]。「旧城主は祖先以来数百年間伝来の縁故により、これを払い渡し旧形を保存し、後世に伝えるなら歴史上の沿革を示す一端となり好都合である」[3]ことを理由とした。「史跡としての文化財保護」のさきがけといえるが、史跡の法的な保護制度は、1919年(大正8年)制定の史蹟名勝天然紀念物保存法を待たなければならない。

文書の内容

「全国城郭及び軍事に関係する土地建物は、これまで陸軍省の所轄であったが、このたび、別冊一号のとおり、陸軍が必要とする分について改めて陸軍省所轄を仰せ付けられ、その残り第二号の旧来の城郭陣屋等は廃されたので、付属の建物木石に至るまですべて大蔵省に引き渡すので、陸軍省より受け取ったうえ、処分すべし」と、全国の城郭陣屋が陸軍省所管の行政財産と大蔵省所管の普通財産に振り分けられた。


  1. ^ 1878年(明治11年)10月29日陸軍省へ達」
    今般特旨ヲ以彦根城郭保存ノ儀被仰候ニ付別紙ノ通滋賀県ヘ相達候条此旨相心得ヘシ
     別紙11年10月29日滋賀県へ
      今般特旨ヲ以テ彦根城郭保存ノ儀被仰候ニ付其県ニ於テ保存方担任スヘシ
      但所轄ノ儀ハ従前ノ通知心得ヘシ
    「彦根城保存の達」
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04028248400,明11.10『陸軍省大日記』(防衛省防衛研究所図書館)
  2. ^ 『不用城郭中元藩主ニ於テ払受ヲ志願シ及散在地ノ官庁ニ於テ受払ヲ企望スルトキハ公売ニ付セス払渡シヲ認許ス』
    明治二十三年二月一二日(決裁)
    「別紙陸軍大臣請議不用城郭中元藩主ニ於テ払受ヲ志願シ及散在地ノ内官庁ニ於テ払受ヲ企望スルトキハ公売ニ付セス相当代価ヲ以テ払渡ノ件ハ来二十三年度以降ハ会計法ノ明文モ有之公売ニ付スヘキハ勿論ナレトモ本件ハ二十二年度中ニ執行ノ趣ニ付本議ノ通相当代価ヲ以テ売却ノ儀執行シ可然ト認ム
    右閣議ニ供ス」
    国立公文書館 明治二十三年『公文類聚第十四編巻之二十三』
    請求番号 本館-2A-011-00・類00469100-050
  3. ^ 「不用城郭旧主へ払下代価の件」
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06080873700,明22.9.20『貳大日記9月』(防衛省防衛研究所図書館)
  4. ^ 「1873年(明治6年)12月3日開拓使ヘ達」
    其使管下函館五稜郭陸軍省所管被仰付候条同省ヘ可引渡比旨相達候事
    「公達六年十二月三日」
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. A07062412100,明18.11『記録材料・開拓使事業報告附録布令類聚上編・大蔵省』「地理衙署」(国立公文書館)


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