伊藤宗看 (3代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 07:28 UTC 版)
象戯作物
宗看による献上図式「象戯作物」は「将棋無双」の俗称で知られる。
古今で最も難解とも言われるほどの作品集で、門脇芳雄編の「詰むや詰まざるや」において、弟の看寿の「将棋図巧」と並んで詰将棋の最高峰と書かれている。
解答が付いている原本や解答本はほとんど世に出回らなかったため、すべての問題が詰むかどうか長年棋界の謎とされてきた。しかし、昭和40年代に将軍に献上した原本が皇居内の内閣文庫で発見され、解決に至った。これにより、何題か最初から詰まないことが分かった。
代表的な作品
- 十二番
- 盤上に攻め方がない「無仕掛」。
- 三十番
- 古来より神局とよばれた奇跡のように美しい傑作。
- 七十番
- 歩の利きで行う馬鋸の名作。
- 七十五番
- 収録作の中で最長の225手詰。
- 百番
- 象戯作物のトリを飾る超大作。「大迷路」の名の通り超難解である。
棋譜
△持駒 金歩
9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
香 | 王 | 桂 | 香 | 一 | |||||
金 | 二 | ||||||||
金 | 歩 | 三 | |||||||
歩 | 飛 | 歩 | 歩 | 歩 | 歩 | 四 | |||
歩 | 桂 | 歩 | 五 | ||||||
歩 | 歩 | 歩 | 角 | 歩 | 六 | ||||
金 | 歩 | 銀 | 七 | ||||||
玉 | 飛 | 八 | |||||||
香 | 桂 | 桂 | 香 | 九 |
1725年(享保10年)、20歳の宗看は17歳の大橋宗民(後の四代宗与)と指した御城将棋の一局で宗看が指した▲3五桂という一着について、その将棋を収録した『日本将棋大系』で該当巻の解説担当の大山康晴十五世名人は「絶妙手である」と断言した。さらに『将棋世界』で連載された「イメージと読みの将棋観」でもこの将棋が取り上げられ、羽生善治、谷川浩司、渡辺明、佐藤康光、森内俊之、藤井猛という現代のトップクラスの棋士たちは一様に驚嘆の声を上げ、絶賛している。
「局面も現代風だし、今の実戦譜だとしても全然おかしくない。江戸時代の将棋はほとんど知らないんですが、強い部分はけた違いに強いという気がする」(羽生)
関連項目
- ^ 『象戯作物』序文を書いた林信充は、図式献上前の公命での名人襲位は三代宗看のみであるとする。
- ^ 門脇芳雄は、名人襲位前後に図式の創作を開始したのではないか、と推測している。
- ^ 対局日時は角落ち番は5月17日、香落ち番は6月2日で、既に元文年号に改元している。
- ^ 宗看に香落ち番で勝利した翌日に、八代宗桂と平手で対戦している。
- ^ この当時、弟に家督を相続させるためには弟を養嗣子とすること(これを順養子と呼ぶ)が必要であり、一般的に行われていた。例えば徳川綱吉は兄である徳川家綱の養子である。
- ^ 寛保2年(1742年)に宗看の自宅で四代宗与と左香落ちで対戦した棋譜が存在するが、御城将棋の内調譜とはみなされていないという。
- ^ 山本亨介は、継母との関係が悪く酒色に溺れていたのではないかとしている。
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