仁徳天皇 陵・霊廟

仁徳天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 03:27 UTC 版)

陵・霊廟

(みささぎ)の名は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)。宮内庁により大阪府堺市堺区大仙町にある遺跡名「大仙陵古墳(大山古墳)」に治定されている(北緯34度33分50秒 東経135度29分14.5秒 / 北緯34.56389度 東経135.487361度 / 34.56389; 135.487361 (百舌鳥耳原中陵(仁徳天皇陵)))。宮内庁上の形式は前方後円。墳丘長525メートル、後円部286,33メートル、前方部幅347メートルもあるという調査結果が2018年4月12日に発表された。墳丘長、体積共に日本一の前方後円墳であり、世界的に見ても最大級の墳墓である。

『古事記』には「御陵は毛受(もず)の耳原にあり」、『日本書紀』には寿陵であったと記され、「(八十七年)冬十月の癸未の朔己丑に、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬(はぶ)りまつる」とある。『延喜式』諸陵寮には「百舌鳥耳原中陵。在和泉国大鳥郡。兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟。」と記されている。陵名の由来は、陵墓造営中に野から鹿が走り込んできて絶命。その鹿の耳の中からモズが現れたことから地名を「百舌鳥耳原」と名づけられる(なお、モズは大阪府の鳥である)。また、この古墳の北と南にも大古墳があり(北陵は反正天皇陵、南陵は履中天皇陵)、「中陵」と名づけられている。

また皇居では、皇霊殿宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。


  1. ^ 『古事記』大安万侶。 
  2. ^ a b 小沢一雅「古事記崩年干支に関する数理的検討」『情報処理学会研究報告』2010年度第2号、情報処理学会、2010年8月、1-6頁、CRID 1520572359470131072ISSN 18840930NAID 1100080034882023年10月30日閲覧 
  3. ^ 松原聡『日本の経済』ナツメ社図解雑学シリーズ〉、2000年、228頁。 
  4. ^ 『日本書紀 二』岩波書店岩波文庫〉、1994年。ISBN 9784003000427 
  5. ^ 『日本神話と古代国家』講談社学術文庫、1990年、29頁。ISBN 978-4061589285 
  6. ^ 日本書紀と古墳時代の考古学
  7. ^ (産経ニュース 高津宮は大阪城本丸地区に 仁徳天皇が朝鮮半島情勢に対処か 2024/1/10)
  8. ^ 大阪の仁徳天皇陵古墳は日本一|世界遺産のおすすめの古墳めぐりコースは? 2023年7月26日






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