上石津ミサンザイ古墳 概要

上石津ミサンザイ古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 10:35 UTC 版)

概要

名称の「ミサンザイ」は「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられている[5]。江戸時代の絵図等では「履中天皇陵」の表記が見られる。上石津は堺市編入以前の泉北郡神石村大字で、現在の堺区石津町が集落の中心であるが、当古墳だけ西区となっている。

百舌鳥古墳群の南西部に位置する前方後円墳古墳で、大阪湾からの眺望を意識し、場所の選定と墳丘の方向が決めたと考えられ、標高15 - 22mの台地の西縁部に、海からよく見えるように、かつての海岸線と墳丘主軸線を平行させるように、前方部を南に向けて造られている[6]。宮内庁により、履中天皇の陵墓に比定され、墳丘、濠、堤は宮内庁が管理している[7]。墳丘は3段筑成で、墳丘長365メートル、後円部直径205メートル、高さ27.6メートル、前方部幅 235メートル、高さ25.3メートルで[8]、墳丘長が大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳・大阪府堺市)、誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳・大阪府羽曳野市)に次ぐ、全国第3位の規模を誇る巨大古墳である[9]。墳丘両側くびれに部に造り出しを有するが、東側の造り出しは崩壊が進み縮小しているため、濠の水位が下がった時のみに確認できる[8]。近年の航空レーザー測量で、後円部の頂上と前方部の頂上には、独立した円形の土壇(円丘)が築かれており[7]、前方部頂上の円形の土壇は斜面に沿って2段に築かれ、他に例を見ないものである[6]。また、2段の土壇内には埋葬施設が存在するものと推測される[8]。後円部の埋葬施設や構造、副葬品はわかっていない[8]

墳丘周囲には盾形の周濠があり、前方部前面で濠幅が約62メートル、後円部背面で約70メートルの幅の広い濠である[7]。西側の濠には大規模な盛土による提が築かれている[6]。現在の周濠は一重だが、調査により、幅11 - 25m、深さ0.6 - 1.3m程の外濠が全周していたことが明らかになっており、土の状況などから水のない空濠だったと推定されている[8]

1986年(昭和61年)に、後円部頂上あたりから埴輪が盗掘にあったが、それらは全て回収されている[7]。回収された埴輪は、蓋型、家型、靭形などの多量の形象埴輪だが、なかでも、矢を収納する靫を模した靭形埴輪は、欠けた部分が多いが、高さ1.4メートル、最大幅1.1メートル程の、超大型埴輪であった[8]。本古墳の墳丘や埴輪などから、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)よりも早い5世紀初頭に築造されたと考えられている[8]。また、江戸時代の記録では、後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、すでに埋葬施設は盗掘を受けている可能性がある[10]

外濠の周囲に位置する陪塚は、七観山古墳、七観音古墳、寺山南山古墳、石塚古墳、狐塚古墳など10基前後あったとされるが、現在は七観音古墳・寺山南山古墳の2基のみが残るだけである[11]。かつて存在した七観山古墳からは多量の副葬品が出土し、副葬品を埋納するための陪塚の可能性がある。七観山古墳、寺山南山古墳も本古墳と同時期に作られたと考えられている[11]。また、陪塚の可能性は低いが、前方部南東のJR阪和線上野芝駅付近に、かつて、ド塚(堂塚、ど塚、外塚、胴塚ともよばれていた)があったが、墳丘長が90メートル前後で、前方部を西に向ける前方後円墳が存在した[11]


  1. ^ 天野末喜 「天皇陵古墳と被葬者を考える」『古代史研究の最前線 天皇陵』 洋泉社、2016年、pp. 61 - 62。
  2. ^ 巨大古墳の築造年代1(No.162) 藤井寺市ホームページ
  3. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  4. ^ 履中天皇 百舌鳥耳原南陵”. 宮内庁. 2020年1月24日閲覧。
  5. ^ 古墳の名称の由来について知りたい。/レファレンス協同データーベース”. 国立国会図書館(情報提供館:堺市立中央図書館). 2021年11月19日閲覧。
  6. ^ a b c 履中天皇陵古墳/構成資産/世界遺産/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年11月22日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 古墳群の調査1 2008, p. 42.
  8. ^ a b c d e f g 百舌鳥古墳群(堺市) 2014, p. 34.
  9. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)”. 堺市役所 文化観光局 博物館 学芸課. 2021年11月22日閲覧。
  10. ^ 履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳・石津ヶ丘古墳・百舌鳥陵山古墳) 【世界文化遺産 構成資産】”. 堺市役所 文化観光局 博物館 学芸課. 2021年11月22日閲覧。
  11. ^ a b c d 百舌鳥古墳群(堺市) & 2014年, pp. 34–35.
  12. ^ a b c d e f 古墳群の調査1 2008, pp. 42–44.
  13. ^ 古墳群の調査1 2008, pp. 42–47.
  14. ^ a b c d 古墳群の調査1 2008, pp. 44–47.
  15. ^ a b c 古墳群の調査1 2008, p. 47.
  16. ^ 古墳群の調査1 2008, pp. 47–48.
  17. ^ 古墳群の調査1 2008, pp. 44–48.
  18. ^ a b c 古墳群の調査1 2008, p. 48.
  19. ^ a b c 古墳群の調査1 2008, p. 50.
  20. ^ a b c d 古墳群の調査2 2009, p. 61.
  21. ^ a b c 古墳群の調査2 2009, p. 64.
  22. ^ 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-”. 文化遺産オンライン/文化庁. 2020年1月24日閲覧。






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