上町五丁目停留場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 07:22 UTC 版)
上町五丁目停留場* | |
---|---|
東より望む。右がはりまや橋方面行きのホーム | |
かみまちごちょうめ Kamimachi 5-chome | |
◄上町四丁目 (0.2 km) (0.4 km) 旭町一丁目► | |
所在地 | 高知県高知市上町五丁目 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 伊野線 |
キロ程 | 2.4 km(はりまや橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1906年(明治39年)10月9日 |
歴史
当停留場は1906年(明治39年)、本町筋五丁目停留場(ほんちょうすじごちょうめていりゅうじょう)の名で開業した[1][2]。開業の1週間後には、車両の増備に対応するため停留場の北側に車庫(本町筋五丁目車庫)が新設されている[3]。停留場名は町名変更に合わせて1936年(昭和11年)に「本丁筋五丁目」と表記を変更[2][3]。上町五丁目と称するようになったのは1966年(昭和41年)からで、これは同年に住居表示が実施されたことによるものである[3]。
年表
- 1906年(明治39年)
- 1909年(明治42年)2月25日:車庫で火災が発生[1]。
- 1936年(昭和11年)8月1日:本丁筋五丁目停留場に改称[1]。
- 1966年(昭和41年)8月10日:上町五丁目停留場に改称[1]。
- 1975年(昭和50年)5月:折り返し用の渡り線を旭町一丁目から移設。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[4]。とさでん交通の停留場となる。
構造
上町五丁目停留場は伊野線の併用軌道区間にあり、道路上にホームが設けられている。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合って配置される(相対式ホーム)[5]。線路の北側に上りはりまや橋方面行き、南に下り伊野方面行きのホームがある[5]。
上町四丁目との間に渡り線があり[5][6]、はりまや橋・高知駅前方面行の一部が当停留場発着で運行される。渡り線がはりまや橋寄りにあることから折り返しの上り列車は上りホームに入線できず、下りホームで降車を扱った後そのままの位置で反対側のドアを開き、乗客は上りホームから線路を跨いで乗車する。
停留場の北側には開業直後より本町筋五丁目車庫が設けられ、戦後蛍橋停留場の西方に蛍橋車庫ができるまで使用された[3]。本町筋五丁目車庫では1909年(明治42年)に火災が発生し、収容中の車両9両と新調中の車両2両のあわせて11両の車両を焼失している[7]。この火災の原因と焼失した車両の番号については、資料が失われたため不明である[7]。
- ^ a b c d e f 『土佐電鉄が走る街 今昔』98・156-158頁
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c d 『土佐電鉄が走る街 今昔』34-35・76-77頁
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、40,93頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 四国篇、草思社、2007年、292頁。ISBN 978-4-7942-1615-1。
- ^ a b 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、89,109頁。ISBN 4-87503-268-4。
- 1 上町五丁目停留場とは
- 2 上町五丁目停留場の概要
- 3 周辺
- 4 脚注
- 上町五丁目停留場のページへのリンク