ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公) ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)の概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)の解説 > ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)の概要 

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/04 03:18 UTC 版)

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ
Василий Ярославич
ウラジーミル大公
在位 1272年 - 1277年

出生 1241年?
死去 1276年
家名 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 ヤロスラフ2世
母親 フェオドシヤ・イーゴレヴナ
テンプレートを表示

生涯

1266年にコストロマーで結婚式を挙げる。1272年の冬、兄ヤロスラフ3世の死去に伴い、モンゴルより後継のウラジーミル大公に任じられる。その際、ノヴゴロドをも直接支配下におこうとしたが、こちらは甥のドミトリー・アレクサンドロヴィチの支配下に入った。但し、ヴァシーリーはタタール軍を率いてドミトリー及びノヴゴロドを攻撃し、恨みを晴らしている(1272年)。サライからの帰国後、1276年1月に嗣子無くして死去。このため、大公の位は兄アレクサンドルの息子であるドミトリー・アレクサンドロヴィチが継いだ。

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチの結婚
先代
ヤロスラフ3世
ウラジーミル大公
10代
1272年 - 1277年
次代
ドミトリー・アレクサンドロヴィチ



「ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)」の関連用語

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS