ローマの休日 製作

ローマの休日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 23:08 UTC 版)

製作

企画

ダルトン・トランボが原案(ストーリー)を書き、イアン・マクレラン・ハンターと共同で脚本を執筆したのは1940年代半ば頃で、元々フランク・キャプラが映画製作会社リバティ・フィルム社のために書かせたものである[4][5][6][7]

1948年、リバティ・フィルムがパラマウント映画に買収され、パラマウントでキャプラ監督による製作が決定[6]。この時、エリザベス・テイラーケーリー・グラントに出演交渉されたが、パラマウントの予算が150万ドルと少なかったためキャプラは妥協できず、『ローマの休日』を放棄した[6][8][9]

その後、この企画はしばらく宙に浮いたままだったが、1951年初めにウィリアム・ワイラーがこの脚本を知り、ローマでの撮影を条件に強い関心を示して、ワイラー監督でパラマウント社は製作に入ることとなった[4][10]

製作時、アメリカ本国ではジョセフ・マッカーシー上院議員らによる「赤狩り」と呼ばれるマッカーシズムから非米活動調査委員会による共産主義者排斥運動が行われており、映画産業でも「ハリウッド・テン」と呼ばれた人物らが追放された。本作の脚本家であるトランボもその一人であったため、友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンターが、本作の原案と脚本にその名前をクレジットした。

ワイラー監督の意向から、撮影はローマでロケをすることとなった[11]。パラマウントも、イタリアで稼いだものの国外には持ち出せないリラを制作費に充てられるために反対はしなかった[12]

オードリー・ヘプバーンの起用

衣装テスト中のオードリー・ヘプバーン。

最初にヒロインの王女役候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった[4][6][5]。監督がフランク・キャプラからウィリアム・ワイラーに変わってからはジーン・シモンズの名前が挙がった[13]。しかし彼女と専属契約をしているハワード・ヒューズが貸し出しを拒否したことで実現しなかった[4][11]

グレゴリー・ペックも最初は出演を渋ったがワイラーが説得、出演を承諾した[11][14]。しかし予算の問題もあり、大スターを2人使うことは問題外であった[9]。インタビューでワイラーは「主役にグレゴリー・ペックを使えると決まって急に具体化しました。相手の王女役に大スターを使う必要がなくなったからです。そこで私は無名であっても王女の役にふさわしい娘さんを捜しにかかりました。」と答えている[15]

パラマウントの各海外拠点が何人か王女役を提案し、特にシュザンヌ・クルーティエ (en:Suzanne Cloutier) とコレット・リペール (en:Colette Ripert) の2人が際立っていた[9]。1951年7月にはパラマウント社ロンドン支社のリチャード・ミーランド製作部長は、「『ローマの休日』の新しい候補、オードリー・ヘプバーンを発見した。『素晴らしき遺産』で彼女が演じた小さな役に感銘を受けた。」とニューヨークの事務所にヘプバーンを推薦した[4][7]。ロンドンに立ち寄ったワイラーはヘプバーンに会い「何か独特の個性を持っているという強い感銘を受け、早速カメラ・テストをすることにしました」と答えている[15]

当時、ヘプバーンは映画界では無名に近い存在であったが、その彼女をロンドンのパインウッド撮影所に呼んで1951年9月18日にスクリーン・テストを受けさせた[16]。監督はヘプバーンの希望で『初恋』の監督だったソロルド・ディキンソン[16]。他に俳優でライオネル・マートンとキャスリーン・ネズビットが出演した[17][18]。ワイラーはありのままのヘプバーンを評価するために、ベッドから起き上がるシーンのテストが終わってもカメラを回して撮影しておくように指示した[19][20]。テストが終わったと思い込み、笑顔で伸びをする自然なヘプバーンのフィルムを見たワイラーはヒロインに抜擢することを決めた[21][22][15]。シュザンヌ・クルーティエもテストを受けたが、明らかにヘプバーンが最善の選択であった[9]

この時、パラマウント社ロンドン支社のミーランド製作部長はヘプバーンにキャサリン・ヘプバーンと混同されるので改名してはどうかと打診している[23][24]。その時彼女は「私をお望みなら、名前も採用してください」と答えている[23][24]

グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることをエージェントとスタジオに要求[25][26]。ヘプバーンは映画のタイトルの前に主演としてグレゴリー・ペックと共に載った[27][26]

しかし、彼女にはそれ以前に声がかかってブロードウェイで上演される『ジジ』の主役に抜擢されており、1951年9月末に船でニューヨークに向かった[28]。『ジジ』は大好評で、パラマウントはオードリー・ヘプバーンを5月末で解放してくれるよう『ジジ』のプロデューサーに5万ドルを支払った[29][30]。『ジジ』はチケット完売のままでおよそ6か月の公演が続き、5月31日に終了した[29][30]。『ローマの休日』の撮影に入ったのは主演に決まってから8か月後の1952年6月であった[31]

撮影

最終脚本が完成していなかったため、イギリスの脚本家ジョン・ダイトン英語版がローマへ渡り、撮影の間に脚本を書き、現場でワイラー監督と一緒にシーンを考案した[9]。ローマは使用可能なロケ地が多すぎるために、絶えず書き直しが必要なため、ダイトンは貴重な存在であった[9]。1953年に映画が公開された時には、脚本家のクレジットはハンターとダイトンが共有した[32]

しかしスタジオ撮影ではなく、ロケ撮影のため様々な問題が起きた[9]。ローマ市内の観光名所や公共施設で撮影するので、騒音対策、交通整理、パパラッチ問題に悩まされて、移動のたびに見物するファンの群れを整理する仕事はまさに悪夢であった[33][34][35][9]。このため撮影は遅れ、完璧主義者のワイラーが普段撮れる数のテイクが撮れなかった[9][36]。撮影監督のフランツ・プラナーは病気になり、撮影半ばでアンリ・アルカンに交代した[9]

またこの年の夏はローマにおいて例を見ないほどの猛暑であった[34][37]。出演者はメイクが流れ落ち、頻繁にメイクアップを直していた[34]。さらには政治的状況は危険と暴力に満ち満ちていた[38][37]。ファシストとコミュニストが激突し、突如爆発があったり、発砲騒ぎがあったりしていた[38][37]。ある時は撮影しようとしていた橋の下でテロリストによる5つの爆薬の束が見つかったりもした[37][38]。ローマ市内を2人がスクーターで走る場面は、この映画の代表的なシーンになったが、わずか3分のシーンであるのに撮影には6日間を要した[39]

それでもワイラー監督はロケ撮影がもたらす自由のおかげで生き生きしており、撮影現場はリラックスして楽しい雰囲気だったという[9]エディ・アルバートは、全員があまりに楽しんでいたので、「金(出演料)を取るのが恥ずかしいほどだった」と語っている[9]

「真実の口」:ここでのペックの演技は台本にない、ヘプバーンを驚かせるアドリブであった。

真実の口のシーンの撮影では、ペックとワイラーは一計を案じ、本番で真実の口に手を突っ込んだペックは、本当に手を噛みちぎられたように演じた[40]。ヘプバーンは驚きのあまり、本気で叫び声を上げ、素のリアクションを見せた。この自然な演技は、2人を十分満足させるものであり、1テイクでOKが出た[40]

ワイラーが唯一悔いを残したのが、テクニカラーで撮影しなかったことであった[12][11]。制作費を抑えるためにワイラーはモノクロで撮ることに同意し、「その誤りに気付いた時はすでに遅く、充分なカラーフィルムをイタリアに送る時間がなかった」と語っている[12][11]

デジタル・ニューマスター版

2003年に映画製作50周年を記念してデジタル・ニューマスター版が発表された。原案のクレジットはイアン・マクレラン・ハンターからダルトン・トランボに変更されている。

デジタル・リマスター版

2020年には4Kフィルムからのデジタル・リマスター版ブルーレイが発売された[41]。2003年のデジタル・ニューマスター版で変更された原案のクレジットに加えて、脚本のクレジットでもダルトン・トランボが追加されたため、脚本はダルトン・トランボ、イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトンの3人の連名になっている。


注釈

  1. ^ 本人が亡くなっていたため、未亡人が代わりに受賞した。そしてハンターの名前は削除されている。
  2. ^ 王女が吟唱するのはパーシー・ビッシュ・シェリーArethusa の一節 "Arethusa arose / From her couch of snows / In the Acroceraunian mountains, --" であり、ジョーも「シェリーだ」と指摘するが、王女本人は「キーツ」と言い張る。
  3. ^ ニュース番組直前のラジオから聞こえる静かなピアノ曲はフランツ・リストの『ゴンドラの歌』である。
  4. ^ 当初は松村彦次郎が演じる予定だったが、諸事情により宮田へ変更された[64]

出典

  1. ^ a b c Roman Holiday (1953)” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
  2. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)113頁
  3. ^ とり・みき [@videobird] (2022年4月30日). "美容師マリオをオネエキャラにアレンジしたのは広川さんです。". X(旧Twitter)より2022年6月11日閲覧
  4. ^ a b c d e パリス 上巻 1998, p. 139.
  5. ^ a b バーミリー 1997, p. 80.
  6. ^ a b c d ウッドワード 1993, p. 117.
  7. ^ a b ウォーカー 2003, p. 91.
  8. ^ バーミリー 1997, pp. 80–81.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l 『ローマの休日』デジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション、初回限定版日本版オリジナルブックレットpp. 3–7、トレバー・ウィルズマー著、発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント、2020年12月2日発売。
  10. ^ ウッドワード 1993, pp. 117–118.
  11. ^ a b c d e バーミリー 1997, p. 81.
  12. ^ a b c パリス 上巻 1998, p. 166.
  13. ^ ウッドワード 1993, p. 118.
  14. ^ ウォーカー 2003, pp. 106–107.
  15. ^ a b c 「ウィリアム・ワイラーとの問答」『映画の友』映画世界社、1954年5月号(3月発売)、60-61頁。 
  16. ^ a b パリス 上巻 1998, p. 140.
  17. ^ ウォーカー 2003, pp. 92–93.
  18. ^ パリス 上巻 1998, p. 141.
  19. ^ パリス 上巻 1998, pp. 140–141.
  20. ^ ウォーカー 2003, p. 93.
  21. ^ 『映画ストーリー臨時増刊 オードリー・ヘップバーン』雄鶏社、1954年10月15日発行。この本はノンブル無しのためページ表記不可。 
  22. ^ 泉 三樹夫 (1954年11月20日発行). 『オードリー・ヘップバーン物語』. 東京タイムズ 
  23. ^ a b パリス 上巻 1998, p. 142.
  24. ^ a b ウォーカー 2003, p. 92.
  25. ^ パリス 上巻 1998, pp. 167–168.
  26. ^ a b ウッドワード 1993, pp. 140–141.
  27. ^ バーミリー 1997, p. 29.
  28. ^ パリス 上巻 1998, p. 143.
  29. ^ a b パリス 上巻 1998, p. 163.
  30. ^ a b バーミリー 1997, p. 28.
  31. ^ パリス 上巻 1998, p. 165.
  32. ^ ピーター・ハンソン著、松枝愛訳『ローマの休日を仕掛けた男〜不屈の映画人ダルトン・トランボ〜』(中央公論新社、2013年10月発行)p. 186
  33. ^ パリス 上巻 1998, pp. 168–169.
  34. ^ a b c ハイアム 1986, pp. 76–77.
  35. ^ ウォーカー 2003, pp. 107–108.
  36. ^ ウォーカー 2003, p. 108.
  37. ^ a b c d パリス 上巻 1998, p. 168.
  38. ^ a b c ハイアム 1986, p. 77.
  39. ^ ウォーカー 2003, p. 109.
  40. ^ a b パリス 上巻 1998, p. 169.
  41. ^ ローマの休日 デジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション<初回生産限定>”. パラマウント・ピクチャーズ. 2022年5月16日閲覧。
  42. ^ a b c “オードリー旋風・二億三千万円”. キネマ旬報 (1954年6月下旬号). 
  43. ^ なぜ佐世保で?「ローマの休日」日本初公開 背景とは”. 長崎新聞. 2020年8月22日閲覧。
  44. ^ a b 「ヘップバーン旋風五つの秘密」『サンデー毎日』1954年7月4日号、4頁。 
  45. ^ a b 『「AUDREY HIGHNESS & SABRINA」別冊付録』(『サンデー毎日』の記事の再録。ノンブル無し)シンコー・ミュージック、1987年11月初版発行。 
  46. ^ a b c d e f 『ローマの休日』制作50周年記念デジタル・ニューマスター版イントロダクション INFO欄”. パラマウント・ピクチャーズ. 2019年7月20日閲覧。
  47. ^ ローマの休日 :: インフォメーション”. パラマウント・ピクチャーズ. 2019年7月20日閲覧。
  48. ^ “大きなミニシアター”テアトルタイムズスクエアが終焉!”. MovieWalker. 2019年7月20日閲覧。
  49. ^ 豪華すぎる! テアトルタイムズスクエア閉館特別上映のラインナップが決定”. チケットぴあ. 2019年7月20日閲覧。
  50. ^ あの名作を大画面で! テアトルタイムズ閉館特別上映、絶賛開催中”. チケットぴあ. 2019年7月20日閲覧。
  51. ^ 「ローマの休日」製作70周年4Kレストア版ロードショー公式サイト”. TCエンタテインメント. 2023年7月8日閲覧。
  52. ^ a b 『ローマの休日』日本公開70周年4Kレストア版公式サイト”. TCエンタテインメント株式会社. 2024年3月1日閲覧。
  53. ^ 若城希伊子 (1977年3月15日発行). 『小説 オードリー・ヘプバーン』p148. 秋元文庫 
  54. ^ 2017年11月14日NHK BSプレミアム放送『アナザー・ストーリーズ「オードリーとローマの休日〜秘めた野心 貫いた思い」』。開始後約18分。
  55. ^ ウッドワード 1993, pp. 138–139.
  56. ^ a b パリス 上巻 1998, p. 176.
  57. ^ 「ローマの休日」再現ダメ 舞台となったスペイン階段座ると罰金”. テレ東NEWS. 2019年8月14日閲覧。
  58. ^ 洋画ベスト 150 大アンケートによる”. 文藝春秋BOOKS. 2020年11月3日閲覧。
  59. ^ a b 「MIDNIGHT ART THEATER」 2009年3月21日(土)放送内容 ローマの休日”. 価格.com. 2022年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月23日閲覧。
  60. ^ a b 『ローマの休日』4Kレストア 吹替版ロードショー [@RH4KJP] (2024年3月1日). "#ローマの休日4K 吹替版ロードショー". X(旧Twitter)より2024年3月1日閲覧
  61. ^ “ローマの休日 - スタッフ・キャスト”. 金曜ロードショー. オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160408124937/http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/before200602/lineup/2004/1029/staff.html 
  62. ^ N.E.M.official [@nemofficial3] (2019年12月18日). "全キャスト紹介「ローマの休日」". X(旧Twitter)より2022年6月12日閲覧
  63. ^ ローマの休日 [金曜ロードショーオリジナル新吹き替え版 -日本語吹き替え版]”. 吹替専門サイト ふきカエル大作戦‼︎ (2022年5月15日). 2023年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月15日閲覧。
  64. ^ “ローマの休日 - スタッフ・キャスト”. 金曜ロードショー. オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160408124937/http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/before200602/lineup/2004/1029/staff.html 
  65. ^ 【5.13】『ローマの休日』オリジナル新吹き替え版 藤井貴彦アナがアナウンサー役で出演!”. 金曜ロードシネマクラブ (2022年5月10日). 2022年5月10日閲覧。
  66. ^ とり・みき「吹替で見る『ローマの休日』」『「ローマの休日」4Kレストア版映画パンフレット』TCエンタテインメント、2023年8月25日、45,48頁。 
  67. ^ とり・みき [@videobird] (2023年8月18日). "1989年グロービジョン制作JAL機内版の存在が明らかになりました。". X(旧Twitter)より2023年8月28日閲覧
  68. ^ 人気声優が勢ぞろい名画吹き替えプロジェクト、池袋で8・7公開スタート”. ORICON NEWS (2020年7月8日). 2024年4月18日閲覧。
  69. ^ 吉田啓介 [@dortmunder_k] (2023年8月18日). "まあそこまで複雑な話でもなく…". X(旧Twitter)より2023年8月28日閲覧
  70. ^ テレビ朝日『映画はブラウン館の指定席で―淀川長治と『日曜洋画』の20年』全国朝日放送、1986年、70頁。ISBN 4881310798 
  71. ^ 東水 壮太 (2022年7月4日). “花江夏樹、まさかの台詞ミスに照れ笑い 名作映画のアフレコで…”. Sirabee. 2022年7月10日閲覧。
  72. ^ 株式会社スター・チャンネル (2022年5月4日). “<本日オードリー・ヘプバーン誕生日>前代未聞⁉ 「スターチャンネルEX」 にて、6月10日(金)より『ローマの休日』日本語吹替 計6バージョン一挙配信、決定!”. PR TIMES. 2022年6月12日閲覧。
  73. ^ “ローマの休日 - 解説、見どころ”. 金曜ロードショー. オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160305215349/http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/before200602/lineup/2004/1029/index.html 
  74. ^ “プレミアムステージ”. オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20051224031542/http://www.fujitv.co.jp:80/b_hp/premium/index.html 
  75. ^ ローマの休日”. 金曜ロードシネマクラブ. 日本テレビ放送網. 2022年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月29日閲覧。
  76. ^ 「ローマの休日」廉価版DVDの販売は“問題なし!”」『映画.com』、2006年7月14日。2023年6月6日閲覧。
  77. ^ allcinema『TVM 新・ローマの休日 (1987)について 映画データベース - allcinemahttps://www.allcinema.net/cinema/115652023年10月5日閲覧 
  78. ^ りぼん 1963年 表示号数9”. メディア芸術データベース. 2023年8月19日閲覧。
  79. ^ ローマの休日”. メディア芸術データベース. 2023年8月19日閲覧。
  80. ^ 英子, 1939-, 水野 (2009). ローマの休日. 東京: 祥伝社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010270292-00 
  81. ^ 洋子, 英 (2015). ローマの休日 ; エマ. 東京: 宙出版. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026943748-00 
  82. ^ 2018年5月1日中日劇場中日新聞文化芸能局)発行『中日劇場全記録』
  83. ^ ミュージカル『ローマの休日』”. 帝国劇場. 東宝株式会社. 2023年10月5日閲覧。
  84. ^ 日本初オリジナルミュージカル20年ぶりに帝国劇場に登場!『ローマの休日』上演中!”. 演劇キック. (株)えんぶ. 2023年10月5日閲覧。
  85. ^ 「ローマの休日」 | 天王洲 銀河劇場”. 2023年10月5日閲覧。
  86. ^ 映画以上に心に響く、3人だけで演じる「ローマの休日」”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2023年10月5日閲覧。
  87. ^ 吉田栄作「秋元才加に一票」 外ではスター、家ではAD!?”. エンタメOVO(オーヴォ). 2023年10月5日閲覧。
  88. ^ おけぴネット, 満席応援&空席救済. “【過去ログ】2012/02/24 舞台「ローマの休日」荘田由紀さんインタビュー”. おけぴネット. 株式会社オケピ. 2023年10月5日閲覧。
  89. ^ ローマの休日”. 梅田芸術劇場. 梅田芸術劇場株式会社. 2024年2月5日閲覧。
  90. ^ 宝塚歌劇団雪組「ローマの休日」の主な配役が発表”. ステージナタリー (2016年2月26日). 2016年2月26日閲覧。
  91. ^ 別冊映画秘宝モスラ映画大全』(2011年8月、洋泉社)p.78
  92. ^ ローマの休日”. テレビドラマデータベース. 2020年11月20日閲覧。
  93. ^ 赤塚まんがのなかで映画や小説からヒントを得たお話はありますか?”. 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!. 株式会社フジオ・プロダクション. 2023年8月8日閲覧。
  94. ^ 第67話 チビ太の王子様はつらいよ|ムービーフルplus”. mfplus.jp. 2023年8月8日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ローマの休日」の関連用語

ローマの休日のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ローマの休日のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのローマの休日 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS