キャスリーン・ネスビットとは? わかりやすく解説

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キャスリーン・ネスビット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 04:36 UTC 版)

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キャスリーン・ネスビット
Cathleen Nesbitt
本名 Cathleen Mary Nesbitt
生年月日 (1888-11-24) 1888年11月24日
没年月日 (1982-08-02) 1982年8月2日(93歳没)
出生地 イングランドバーケンヘッド
死没地 イングランドロンドン
国籍 イギリス
職業 俳優
ジャンル 舞台・映画・テレビ
活動期間 1910年 - 1981年
配偶者 セシル・ベレスフォード・ラメージ(1920年 - 1982年)
備考
大英帝国勲章(CBE)
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キャスリーン・ネスビットCathleen Nesbitt1888年11月24日 - 1982年8月2日)は、イングランド女優ミュージカルマイ・フェア・レディ』のブロードウェイでの初演(1956年)でヒギンズ教授(レックス・ハリソン)の母親[1]を演じるなど、知的な老貴婦人役で知られる。

俳優のトム・ネスビット(1891年 - 1927年、本名:Thomas Nesbitt Jr. )は実弟[2]。娘のジェニファー・ラメージはラジオドラマの女優。

略歴

1888年にイングランド北部のバーケンヘッドで生まれる。フランスリジューで教育を受けた後、クイーンズ大学ベルファストソルボンヌ(パリ大学)で学ぶ。

1910年ロンドンの舞台で女優デビュー、翌1911年アメリカに渡り、ブロードウェイデビューする。

1912年に詩人ルパート・ブルックの恋人となり婚約するが、ブルックは第一次世界大戦で戦死する。

1919年サイレント映画『A Star Over Night』で映画デビュー。

1920年に俳優セシル・ベレスフォード・ラメージ英語版[3]と結婚。2人の子をもうける。その後、長年に渡り別居生活を送ったが、ネスビットが亡くなるまで離婚はしなかった。

1930年のイギリスのロマンティック・コメディ映画『Canaries Sometimes Sing』でトーキー初出演。1954年の映画『愛の泉』でハリウッドデビューする。

1982年老衰で死去。

主な出演作品

脚注

  1. ^ 映画版1964年オードリー・ヘプバーン主演)では同じ役をグラディス・クーパーが演じている。
  2. ^ 俳優としての活動は1925年の映画『The Last Witness』のみ。心臓発作で死去。
  3. ^ ネスビットと結婚後に選挙に立候補し、政治家(自由党)になる。法廷弁護士でもある。

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