ランチア 日本での販売

ランチア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 07:59 UTC 版)

日本での販売

第二次世界大戦前も「ラムダ」や「アプリリア」などが輸入されていたが、同大戦後は1950-1960年代に国際自動車商事が輸入代理店となって「アッピア」、「フラミニア」、「フラヴィア」、「フルヴィア」を販売したが、輸入台数は累計でも100台にも満たなかった。当時の「フルヴィア」のオーナーには作家の安部公房や写真家の花岡弘明などがいる。

1970年、厳しくなる安全・公害基準への対応が困難になり輸入中止となったが、1976年にはフィアットの代理店となった安宅産業系のロイヤル・モータース対米仕様の「ベータ1800クーペ」の輸入を再開した。安宅産業の破綻後はやはり排気ガス規制で主力のオペルの輸入中止に追い込まれた東邦モーターズが継承し、パワーステアリング付きとなった「ベータ・クーペ」の輸入を継続した。日本向け仕様は、引き続き5マイルバンパーを採用し左ハンドルのみ、マニュアルトランスミッションのみの内容で、販売は伸びなかった。

1982年、ガレーヂ伊太利屋が正規輸入代理店となり、少数輸入枠を用いて、「ベータ・クーペ」やスーパーチャージャー付き「ベータ・トレヴィVX」、「ラリー037」などのモデルの輸入が開始された。同社は1998年まで正規輸入者の立場にあった。

1988年から1998年の間はマツダオートザム販売網においても「テーマ」や「デドラ」が販売された。しかしオートザム系列の販売の主力は軽自動車であり、ランチアの併売は不調に終わっている。一方でこの時期、ラリーでの活躍ともあいまって「デルタ・インテグラーレ」は人気を得ていた。

1999年以降には正規の輸入販売は行われておらず、ガレーヂ伊太利屋などが並行輸入というかたちで販売を行っていた。2009年には、3代目デルタの右ハンドル仕様がフィアット・オート・ジャパンによって正規輸入されるとも噂されていたが、その後進展はみられなかった。

その後2012年11月、イプシロンがクライスラーブランドで発表され、同日にクライスラー販売網での発売を開始した。しかし2014年で販売が終了したことで、日本でのランチアの系譜は途絶えることとなった。


  1. ^ 正式なカタカナ表記は「ランチア」であるが、イタリア語での発音は「ランチャ」に近く、そのように表記/呼称されることもある。
  2. ^ All Chrysler models to be rebadged as Lancia in Europe”. WorldCarFans.com (2010年6月7日). 2011年11月4日閲覧。
  3. ^ http://www.autoedizione.com/marchionne-talks-about-alfa-romeo-and-lancia-in-detroit/
  4. ^ 「Response」2014年5月13日分記事より
  5. ^ [1]ダイヤモンドオンライン2019年12月2日配信記事「プジョーシトロエンとフィアットクライスラー、合併のメリットはどこにあるか」より
  6. ^ ランチアが突然の復活宣言、タイヤすらない“オブジェ”と新ロゴが示す新生ランチアの姿とは”. レスポンス(Response.jp). 2022年11月30日閲覧。
  7. ^ 三栄書房「ラリー&クラシックス Vol.4 ラリーモンテカルロ 100年の記憶」内、「ルイ・シモンは二度勝つ」より参考。
  8. ^ 四国自動車博物館でかつて行われていたフラミニア スペル スポルトの展示






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