ミトローパ 第二次大戦後から東西ドイツ統一まで

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ミトローパ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 13:12 UTC 版)

第二次大戦後から東西ドイツ統一まで

東独時代のミトローパ食堂車 (1972)

第二次世界大戦の敗戦によりドイツは分割占領され、ミトローパも分割された。西側(ドイツ連邦共和国・西ドイツ)での業務はドイツ寝台車食堂車会社ドイツ語版 (DSG) により引き継がれる。しかし東側(ドイツ民主共和国)においては、名もそのままに株式会社の形態まで含めて温存され、東独国内の食堂車および寝台車におけるサービスを提供した。株式こそ100%東独政府の管理下におかれたが、社会主義体制下において株式会社が存在しえたのは稀有な事例である。ただし社会主義体制の常として、そのサービスは歳月を経るごとに大戦以前のレベル以下へと劣悪化した。

東独のミトローパの業務範囲は第二次大戦以前と同様、鉄道寝台や食堂車のみに留まらずに、1954年以降はベルリンドレスデン間の河川航行船舶や、バルト海を航行するフェリーの供食サービスを担うことになる。また1961年1月16日からは、アウトバーンのサービスエリアにおける供食サービスまで担うこととなる。

東独時代から廃業まで使用されたミトローパの社章

DSG とミトローパは、それぞれ大戦以前のミトローパの遺産を独自に引き継いだ。一例を挙げると DSG では客車車体の切抜き文字の書体にミトローパの名残が見られた。またDSGの社章として、鷲を頂いた車輪のミトローパの社章を、車輪のスポークの本数を6本から4本に減らした程度でほぼそのまま、1971年まで使用していた。

東独ではミトローパそのものが温存されたため、社章もそのまま引き継がれた。ただし車輪の上に配された鷲は、ナチスが党のシンボルとして盛んに用いた『を頂いたハーケンクロイツ』を思わせるため、鷲をアルファベットのMの字に置き換えるといった手直しがされた。




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